Banksyのこと

Banksy does new yorkの冒頭22分をIID世田谷ものづくり学校で3月6日15時から上映します→ http://setagaya-school.net/Event/15521/

 トレーラーの中で「running up to public property and defacing it is not my definition of art (直訳:公共の施設に現れて、その外観を損なうようなことをすることは私のアートの定義ではない)」とアホらしいセリフをブルームバーグ前NY市長が口にしている。ブルームバーグが政治家としての立場でこのセリフを渋々読んだのか、本心でそう思っているのか分からないが、どちらにしても「アート」という言葉の取り扱いは面倒だ。アートというものは実は存在しないがそれでもアートという単語を使用しないと立ち上がらない思考の領域は確かに存在する。
 トレーラーの中で、何度もアートという単語が出てくるが、彼らのアートという言葉の使い方にはあまり興味がない。
 バンクシーがアーティストなのかも、ひいてはこれがアート系の映画なのかどうかもどうでも良くて、ただ僕は彼がやっているようなことをやりたくても逮捕されるのが怖くてできなかったので、ほとんどはその実行力に軽い敬意を覚える。
 それから日常の隙間に「ある光」を差し込もうというビジョンに。
 
 これから引用するのは、僕が2005年に書いたイベントの告知文です。
 当時はこういうことを考えていました。
________________________________________
 9月2日金曜日、鴨川の出町柳の中州(鴨川公園)でパーティーをしようと思います。

 パーティーといっても、そんなにたいそうなものではなくて、単に音楽をかけて、それから映像を流すというだけのものですが、普段は暗い公園を、その日だけでもキラキラした空間にできればいいなと思います。

 時間はだいたい夜の7時か8時くらいに始める予定です。
 終わる時間ははっきりしませんが、遅くてだいたい午前3時というところです。

 場所は、京阪の出町柳駅を出てすぐの鴨川と高野川が合流するところです。
 川端通りから、灯りがきっと見えると思います。
 亀の飛び石を渡って、その中洲に行くこともできます。
 できれば僕たちはその亀の飛び石にキャンドルを置いて、それも目印の一つにしたいと考えています。

 コンセプトは、鴨川公園に彩りを添えることです。
 僕たちは決して、中州を占領して自分達の為のパーティーを開きたいというものではありません。
 僕たちは、開かれた場としての公園、その機能をいくらか強化したいと望むものです。

 子供だって、家族だって。おじいさんだっておばあさんだって。誰もが気楽に立ち寄れれば良いなと思います。
 決して、ばか騒ぎにはしたくありません。
 京阪を降りて家路を歩く人々が、自転車に乗って通りがかる人々が、なんとなく立ち寄って、それでいくらかのくつろぎや楽しみを得てくれれば良いなと思います。
 心地良いこと。

 当たり前のことですが、フリーパーティーです。
 お金も何も要りません。
 なぜなら、そこは公園ですから。
 ただ、この日は、公園に灯りが点り、音楽が流れています。
 そういう夜なのです。

 僕たちは、特別な何かを来て頂いた人々に供給することはできないでしょう。
 それには力不足です。
 でも、人々が夜のいくぶんキラキラとした公園に集まるということは、それ自体が特別の力を持つと信じます。
 だから、なるべくたくさんの人に来て頂けると嬉しいです。

 もしも都合が宜しければ、気の合う友達も、すこし疎遠な友達も、どうぞ誘い合わせて来て下さい。
 楽しい、平和な夜になればいいと思います。
___________________________________________

 京阪出町柳駅というのは、落ち着いた京都市内北東部にありながら大阪中心部へ直通する重要な駅で、故に夜は大阪へ通勤している人達がたくさん帰ってくる。駅を出て、東の百万遍方面へ歩く人もいれば、高野川を渡り西へ歩く人達もたくさんいて、橋を渡る彼ら達には中洲部分の公園が見えるはずだ。高野川と鴨川が合流する、ちょうどアルファベットのY谷間部分みたいなこの公園はロケーションが良くて、だけどいつも真っ暗で、もちろん暗さ故の素敵さもあるわけだけど、なんだかいつも残念で、だからこの場所を少しだけキラキラさせたかった。
 できれば毎日そうしたかった。
 僕はハレとケというのが大嫌いで、毎日ハレでいいじゃないかと思っていて、だからハロウィンとか学祭とかそういう囲われたハレが大嫌いだった。コミケだからコスプレするんじゃなくてコスプレでオフィスに出勤すればいいし、それは本当は普通のことで変でもなんでもない。
 ただ、毎日をハレにするには膨大なエネルギーが必要だからとても難しい。気を抜くと今日はケになってしまう。
 自分の毎日を自分でハレにすることは不可能なのかもしれない。
 だからせっかく人間が集まって生きている都市では、誰かが交代でハレの欠片を街角に置けばいいと思う。