2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

書評『暇と退屈の倫理学』國分功一郎:環世界を誤解していたこと

「暇と退屈の倫理学」という國分功一郎さんの本を、去年の暮れに友達が貸してくれて、面白く読みました。 その本の途中に「環世界」の話が出てきます。 文脈としては、ハイデッカーの退屈論は「人間は環世界を持たない(閉じ込められていない)」ことに依存…

書評『毎月新聞』佐藤雅彦:ことわざが嫌いなんです

漢字の成り立ちを説明し、そして何か人生訓のようなことを唱える人がいますが、僕にはまったく意味が分かりません。「人」という字は二本の棒が支え合うことでできている、人というのは支え合って生きていくのだ、みたいなやつです。 そもそも、人という漢字…

書評『フレデリック―ちょっとかわったねずみのはなし』:あるいは芸術について

(あるいは芸術に絶望した芸術家のために) 僕はもう32歳だし、それに男だし、世の多くの成人男性がそうであるように「ぬいぐるみ」には特に興味がありません。小さい時にはいつも持ち歩いていたぬいぐるみもありました。今でも見掛けて「かわいいな」とか…

円と長方形(円面積の直感的証明)

昨日、ツイッターで「円の面積を求める公式を忘れた」という感じの記述を見かけました。そして、なんともお恥ずかしいことに、はじめて「どうして円の面積はπr^2(円周率×半径rの二乗。「^」という記号で何乗を表しています。)で求まるのだろう?」と疑問…

やる気という企業化社会の信仰

前回のブログが、酔っ払って随分と違うものになってしまったので、今回はもともと書くつもりだったことを書きます。 随分穿ったことなので、こちらもどうせ変かもしれません。 もともと書こうと思っていたのは、「やる気」というものが、僕達のネイチャーか…

書評『暇と退屈の倫理学』國分功一郎:単独で完結する歓喜としての進化

1811年から17年に掛けて、イギリスでラッダイト運動というものがあったらしい。 機械に職を奪われることを恐れた労働者達が、機械を破壊するというものだ。テクノロジーの普及が職を奪うというのは現代でも良く聞かれる話だが、こんな運動が200年も…

限りなく装われた無知

年が明けた。2011年が終わり、2012年が始まった。それでも全く新年を迎えた気持ちにならないのは、僕のごくごく個人的な理由故なのか、30日に餅つきをして雑煮を食べてしまったせいなのか。あるいは、2011年が特別に破壊的な1年だった所為だ…