2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

阿闍梨と犬達

阿闍梨阿闍梨とタイトルに書きながら、なかなか酒井大阿闍梨の千日回峰行の話に行き着きませんね(笑) そろそろ千日回峰行のことに少しは触れておかないと、この人は阿闍梨とか言いながら関係ない話ばかりして、一体何が言いたいの?ということになるかもし…

阿闍梨と黒い犬

この眠気は本物だろうか? 早起きしたせいで、頭の片隅に集中的な眠気が残っているような気がする。でも、僕はこれを書こう。途中になっている酒井大阿闍梨の千日回峰行のことを書こう。 眠いというのはどういうことだろう。 この不思議な不思議な意識、それ…

刺青の蝶は温泉を飛べない

先日の海水浴のことでもう一つ。 ビーチの近くに温泉があったので、そこへ寄ってから帰ることになりました。ところが「私大丈夫かな」と言うその子の心配通り、温泉の入り口には「入れ墨の方のご入場はお断りしています」との看板がデカデカと置かれていた(…

祖父が泳ぎの得意だったこと

2010年7月23日金曜日、友達と日帰りで海水浴に行ってきました。天橋立海水浴場へ行ったのですが、まだ夏休みの早い時期で平日だったせいか、人は適度にしかいなくて、水はきれいではないけれど、ビーチでごろごろしたり一泳ぎするには快適だった。そ…

阿闍梨と白い犬

アジャリ、アジャリ。 と僕は小さく呟いてみた。 それから、関係ないのは分かっていたけれど、”おじゃる”とか”まろ”とかその辺りの言葉が浮かび、「まろはあじゃりでおじゃる」と一人ごちてクククと頭の中で笑った。 一昨日、東京に住む友達が「阿闍梨餅がと…

水着都市京都という提案

梅雨が明けて、京都盆地に夏がやってきました。 この街は暑くて湿度の特別高い夏と、底冷えの厳しい冬で有名です。エアコンもろくな暖房器具もなかった平安京の暮らしはさぞかし辛かったことだろうと思います。一昨年の夏、北海道から帰って来て、地下鉄から…

サーキットベンディングの紹介

サーキットベンディングという言葉をご存じでしょうか? サーキットベンディングというのは、「電子楽器の回路をいじって面白い音が出るようにして演奏する」という遊びのことです。 そういう風に説明すると、実にマニアックな遊びで電子回路の知識がないと…

彼はもうこの棺桶の中にいない

「彼はもうこの棺桶の中にいない。賭けてもいい」 1926年10月31日、「脱出王」ハリー・フーディーニはこの世を去った。死語80年以上たった今でも、たぶん彼は世界で一番有名なマジシャンだろう。 死んだ後に、必ずコンタクトを取る。 と彼は家族に…

幻想の最下級兵士

本当に本当に、僕たちはそんなことを気にしているのだろうか。 世間体を気にするというのは、本当にはどういうことだろうか。 世間体を気にすることと、誰かを差別して苦しめることは、本当は同じことなんじゃないだろうか。 世間体を気にするということは、…

想像と解放と五月と理論

想像力が権力を奪う と書かれた垂れ幕が校舎の屋上からぶら下がっている。校門は机と椅子と有針鉄線で閉鎖されている。 村上龍原作の映画「69」は、高校生が好きな女の子の気を引くだけの為に学校をバリケード封鎖するという爽快な自伝的物語で、李相日が…

水の無線輸送

この間「テクノロジーが発達して、色々なものがモバイルになると自然と都市が融合する」みたいな話を書きました。 その後、ベッドはどういう風にポータブルにするとか、台所はとか色々考えていて、最終的に「水と食料」は難しいなと思った。 食料はもちろん…

きれいな街

特に20代の後半、僕はずっと日本の「デザイン」に対して文句を言っていた。どうして日本の家はこんなにペラペラなんだ、車はこんなにダサいんだ、店の看板はこんなに酷いんだ、窓のサッシ誰が考えたんだよ、という風に街の中で目に付くものほとんどに対し…

O+U 野外と都市

コルビジュエの都市計画に、バーっと森林が広がっていて、近代的な高層建築がところどころ顔を出している、みたいなのがあったと思うのは僕の気のせいだろうか? 自然と都市の調和した世界。 人々は最新式のビルの中に近代的な生活の基礎を置き、そして一歩…

僕らに流れるアジアの血について。

アジアの風に吹かれて、ものすごい湿度の中、今日も僕達は自転車であの坂を下った。 ものすごいスピードで。 この間のコンサートで、小沢健二は自転車の話をしていた。 安全の為にって名目で何でもかんでも禁止してしまうこの国で、ロックを解除してからでな…

僕達に自由意思はあるのか。その3。

随分と時間が経ちましたが、前回は人には果たして自由意志なんてあるのだろうか、ということを書きました。前々回もそうで、自由意志について書くのは三回目ということになります。 実際のところ、これは僕がもう十数年気にしていることなので、このブログに…

僕たちに自由意思はあるのか、その2

僕達は果たして自由意志を持ち得るのか、その続きです。 前回は、機械論的な世界観でいけば、宇宙はずっと法則通りに動いているのだから、僕達だってその一部なわけだし、自分の自由な意思で生活しているなんてあり得ないんじゃないか、ということを書きまし…