西海岸旅行記2014夏(38):6月16日:ロサンゼルス、ゲッコー・テック活躍する


 午前1時を過ぎていたが、幸いな事にホテルの早い者勝ち駐車場は1つ空いていた。部屋に入って、シャワーを浴び、ついでにTシャツを洗濯する。ところが、この無人ホテルの簡素な部屋には洗濯紐を張れそうな突起が殆ど無い。のっぺりとした只の箱でクローゼットすらなく、壁には金庫が1つ埋め込まれているばかりだ。あとは鏡が一枚掛けられているものの、グラグラしているので濡れた洗濯物やバスタオルを干すには心もとない。洗濯物を干せる高さにある、ある程度しっかりした突起はドアの蝶番くらいしかない。洗濯紐の一端は蝶番でいいとして、もう一端はどうしようか。

 そうだゲッコー・テックがあるじゃないか。
 ビッキーに受け取りを拒否され、何かと嘲笑の的になりがちなゲッコー・テックのここ一番の出番だ。壁が完全に滑らかというわけではなく、濡れたバスタオルと洗濯物はそこそこの重さがあるが、ゲッコー・テックは無事にそれらを保持してくれた。もちろん翌日も。
 そんなゲッコー・テックの活躍をクミコは「ややほほえましい」という感じで眺めている。これは子供の時からずっと感じていることだが、便利グッズというのは人に笑われる要素を多分に持っている。さらに言えば、「便利」という概念自体に、どこか人から軽んじられる部分がある。
 便利なものは使わないオレ、ワタシ。この不便さがクール。
 映画に出てくる発明家は「笑える」存在だし、実在の発明家はドクター中松みたいなイメージだ。
 不便はクールで、便利はシリー。

 以前、「旅は遠くへ行くから楽しいのではなくて、半分くらいは不便を強いられるから楽しいのではないか」と書いたけれど、不便がクールという文脈にもこれは合致する。
 持ち物の少ない不便な旅はクールで、ヴィトンのトランクを5個も運ばせるなんでも揃った旅はシリー。
 行き当たりばったりのヒッチハイクと仕方なしの徒歩はクールで、全行程にガイドが付くような予約された移動はシリー。
 旅先で迷うのがクール、スマートフォンのグーグルマップはシリー。
 というような価値観はけっこうドミナントではないだろうか。

 翌日は、夕方に人と会う約束をしていたが、それまでどうするかは予定を立てていなかった。クミコは明後日の昼に日本へ帰るので、貴重な最後の1日だ。僕はもう数日こっちにいる。ユニバーサルスタジオに行かないのは間違っているのかもしれないなと思いながら、やっぱりユニバーサルスタジオには行かないことにして、カリフォルニア・サイエンスセンターでスペースシャトル「エンデバー」を見ることにした。サイエンスセンターのサイトには「エンデバーを見るのには予約がいる」と書いてあるので、昼の12時半に予約をする。予約をすると「チケットは必ず印刷して持ってきて下さい」と書いてある。ホテルの廊下にプリンターがあったから、あれで明日印刷しよう。プリンターなんか誰が使うのかと思っていたけれど、自分が使うことになった。もしかしたらスペースシャトルのチケットを印刷したがる宿泊客が多いのだろうか。 

 翌日、チケットの印刷もして日焼け止めも塗って、準備万端でホテルを出ると、出てすぐの車の運転席側窓が割られ、中が荒らされていた。昨日は戻ってきたのが遅くて、暗いし良く見なかったけれど、この車のミラーが変な角度だったのと助手席から靴下が飛び出ていたのは覚えていた。「相当慌てて下りたんだな」と気楽に思っていたら、車上荒らしにあっていたというわけだ。
 目をやると僕達の車は無事で一安心。気にならなくはないが、特にできることもないのでそのまま出発する。駐車場から出るとき、歩道に立っているホームレスの男と目が合う。申し訳ないが車の割れた窓が頭をよぎって、なんでこんな暑い何もないところに立っているんだろうと思う。せめて日陰なら分かる。まさかホテルを見張ってるんじゃないだろうか。僕達はもう一泊するので、荷物は部屋に置いたままだ。

「部屋に戻って、一応荷物車に積んでった方が良くない?」と僕は提案した。

「なんで、大丈夫よ。万が一なんかあっても貴重品は持ってきてるし、保険もあるし」

 まさかホテルの部屋に侵入されるとは僕も思っていなかったが、多少の手間でできる予防は惜しみたくなかった。カードの付帯保険でカバーできるのだろうけど、色々面倒なことは間違いないし、だいたい自分のものを人に荒らされるというのは気分が悪い。今ならまだ5分で荷物を取ってこれる。一手間を惜しんで、困った事態になったことはこれまでに何度も経験している。「わかってたんだけど」という後悔はとてもとても苦い。
 が、結局は「そんなこと言ったら、車に積んでて車上荒らしにあったら一緒じゃない」というクミコの言葉に押されて、荷物はそのままホテルに置いて行くことにした。まあ、もういいや。