小説
最近、ブログを書くことが困難になってきました。それは多忙の為、書く時間も体力もない、ということではなく、文字通り書くこと事自体が困難になってきたということです。
理由はいくつかあって、それらについて自分でもそれなりに考えてみました。
そして思い至ったのは、僕はブログという形式には納めることのできないことを書きたいのだ、ということでした。
納めることができない、というのは、一つは単純に分量、長さの問題です。
最近ブログを更新する頻度は落ちていると思いますが、実はポメラの中にはそれなりの分量の文章があります。ただ、どれも書いているうちに自分の考えが変化してしまったり、漠然としていること自体が結論となったりしてブログとしては長すぎるのです。
それから、ブログが自分に近すぎて書けないことも多い、という問題もあります。
たとえば、僕がここで自分の恋やセックスについて語ることはあまりにも生々しい。けれど、ある意味では恋愛というものは僕の人生の多くの部分を占めてきたし、そういうことをこれ以上無視したままにはできない。
その他に、ぐるぐると色々なことを考えて、僕は今一度小説を書くことにしました。
あっ、心配なさらなくても恋愛小説なんかではありません。僕はそれには全くが興味がないのです。
今まで何度か小説を書いて、途中で下らなくなってやめるということがありました。そういうのを僕は自分の根気のなさ故だと単純に思っていたのですが、実は書きたいことがただのエンターテインメントであって、それは半分くらい「僕はこんなにおもしろいことを考えることができる」という自己顕示欲の固まりに過ぎなかったからだと今は思います。
それを象徴するかのように、ずっと、僕は書きたいことなんてない、ただ面白い話を作りたい、と言っていました。
今は、書きたい、書くべきことがあり、小説という記述形式が必要だと思っています。
僕には言わなくてはならないことがあります。言われなくてはならないことが。それは、これはフィクションなんです、と銘打った物語でしか書くことのできないものです。 言わなくてはならないこと、なんて全く大げさで傲慢なようですし、自分でもそう思います。でも、これは「書きたい」とは少し違っているのです。やはりこれは「書かれなくてはならない」ことだ、と自分勝手な錯覚にしろ思っています。それが、世界の為に書かれなくてはならない、とは流石に言えません。少なくとも自分の為には書かれなくてはならず、それが結果的にいくらかの人々にとって書かれなければならなかった、読まれなくてはならなかった物語になってくれれば良いと考えています。
何かの為に書かれなくてはならなかった物語、という割には、それは全然示唆的でも教訓的でもなく、まったくのエンターテインメント作品にしか見えないかもしれません。
それはそれで構いません。それが何のように見えるか、何に似ているか、というのは実際のところ重要なことではありませんから。
とにかく、僕は31年間好き放題に生きて来て、今コツンと何かに当たったのです。シャベルの先が何か堅いものに当たってしまった以上、僕は期待を持ってそれを掘り出さないわけには行きません。それは大きければ大きいほど、深ければ深い程大変な作業になるでしょう。
僕にはしたいことが沢山あって、小説だけを書いているわけには行きません。不純だと言われても、そういうわけには行かない。何か一つに全生活、全生命を賭けないないならそんなものには価値がない、と言われてもそういうわけには行かない。
だから、執筆速度はそれほど早くはできない。でも、できるだけ早くそれを掘り出したいと思うし、できれば過程であってもせっかちに早く誰かに見てほしいと思う。
だから、それに沿う形で出すことにしたいと思います。
それから、僕はこの発掘作業をただではできない、と告白せねばなりません。
「えっ、金の話の話すんの、金くれって!」
と言われても仕方ないのだけど、平たく言うとそういうことになります。
僕はこれまで「お金を貰わない」で何かをする方針でした。そして、お金を貰わないことの限界も知ったつもりです。
お金を貰わないというのは、一見太っ腹のようで、その実は臆病さの塊でもありました。僕は自分の開いたパーティーを無料にしていたけれど、そこには「もしも面白くなくてもタダなんだから文句を言わないで」という陰湿な理由があったことを否めません。責任が発生しないようにするという責任逃れだったのです。クオリティー低くても当然、だってタダだもん、という逃げ口上。
本当はみんなから少しだけお金を出して貰って、それでキチンとしたクオリティーのものを作るという選択肢も意識していました。
今度はそうしようと思うのです。
僕はお金を貰い、そして言い訳のできないクオリティーを提供する。
現実問題として、ただで長時間集中して長い文章を書く、というゆとりは今の僕の生活にはありません。せいぜいブログが精一杯で、そのブログにも切れ切れな記事が散見されるようになりました。
これは一つの限界だと自分で感じています。それが自己顕示に過ぎないとしても、言いたいことをみんなに聞いて貰っている立場だとしても、僕はそれなりに誠実にこの数年間ブログを書いてきたつもりです。これは僕の現在持てる資源での限界です。
これ以上のことは助けて貰わないとできないし、人々に助けて貰ってでもこれ以上のことをしたいと思っていると、ここで僕は言わなくてはなりません。
そして、お金を払ってくれた人達がちゃんと喜んでくれるだけの品質を提供する覚悟だと。
もしかした、カチンとスコップの先に当たったものは、ただのちっぽけなタイムカプセルかもしれません。しかも僕が自分で埋めて忘れていただけの。他の人にとっては何の価値もない。期待を持って掘り出したのに、中を開けてみれば僕が入れたガラクタしか出てこないかもしれない。
そんなことになってしまっても、僕は貰ったお金を返すことはできないし、ひたすら謝ることしかできない。言い方を変えれば責任は取れない。
だから、もう少しだけ自分一人で掘ってみて、もう少しだけ「これはガラクタじゃない」という確信が持てたとき、みなさんの力を借りて本格的に掘り始めたいと思います。そのとき、僕の差し出すものに賛同頂けたならば、少しだけ助けて頂けると幸いです。
理由はいくつかあって、それらについて自分でもそれなりに考えてみました。
そして思い至ったのは、僕はブログという形式には納めることのできないことを書きたいのだ、ということでした。
納めることができない、というのは、一つは単純に分量、長さの問題です。
最近ブログを更新する頻度は落ちていると思いますが、実はポメラの中にはそれなりの分量の文章があります。ただ、どれも書いているうちに自分の考えが変化してしまったり、漠然としていること自体が結論となったりしてブログとしては長すぎるのです。
それから、ブログが自分に近すぎて書けないことも多い、という問題もあります。
たとえば、僕がここで自分の恋やセックスについて語ることはあまりにも生々しい。けれど、ある意味では恋愛というものは僕の人生の多くの部分を占めてきたし、そういうことをこれ以上無視したままにはできない。
その他に、ぐるぐると色々なことを考えて、僕は今一度小説を書くことにしました。
あっ、心配なさらなくても恋愛小説なんかではありません。僕はそれには全くが興味がないのです。
今まで何度か小説を書いて、途中で下らなくなってやめるということがありました。そういうのを僕は自分の根気のなさ故だと単純に思っていたのですが、実は書きたいことがただのエンターテインメントであって、それは半分くらい「僕はこんなにおもしろいことを考えることができる」という自己顕示欲の固まりに過ぎなかったからだと今は思います。
それを象徴するかのように、ずっと、僕は書きたいことなんてない、ただ面白い話を作りたい、と言っていました。
今は、書きたい、書くべきことがあり、小説という記述形式が必要だと思っています。
僕には言わなくてはならないことがあります。言われなくてはならないことが。それは、これはフィクションなんです、と銘打った物語でしか書くことのできないものです。 言わなくてはならないこと、なんて全く大げさで傲慢なようですし、自分でもそう思います。でも、これは「書きたい」とは少し違っているのです。やはりこれは「書かれなくてはならない」ことだ、と自分勝手な錯覚にしろ思っています。それが、世界の為に書かれなくてはならない、とは流石に言えません。少なくとも自分の為には書かれなくてはならず、それが結果的にいくらかの人々にとって書かれなければならなかった、読まれなくてはならなかった物語になってくれれば良いと考えています。
何かの為に書かれなくてはならなかった物語、という割には、それは全然示唆的でも教訓的でもなく、まったくのエンターテインメント作品にしか見えないかもしれません。
それはそれで構いません。それが何のように見えるか、何に似ているか、というのは実際のところ重要なことではありませんから。
とにかく、僕は31年間好き放題に生きて来て、今コツンと何かに当たったのです。シャベルの先が何か堅いものに当たってしまった以上、僕は期待を持ってそれを掘り出さないわけには行きません。それは大きければ大きいほど、深ければ深い程大変な作業になるでしょう。
僕にはしたいことが沢山あって、小説だけを書いているわけには行きません。不純だと言われても、そういうわけには行かない。何か一つに全生活、全生命を賭けないないならそんなものには価値がない、と言われてもそういうわけには行かない。
だから、執筆速度はそれほど早くはできない。でも、できるだけ早くそれを掘り出したいと思うし、できれば過程であってもせっかちに早く誰かに見てほしいと思う。
だから、それに沿う形で出すことにしたいと思います。
それから、僕はこの発掘作業をただではできない、と告白せねばなりません。
「えっ、金の話の話すんの、金くれって!」
と言われても仕方ないのだけど、平たく言うとそういうことになります。
僕はこれまで「お金を貰わない」で何かをする方針でした。そして、お金を貰わないことの限界も知ったつもりです。
お金を貰わないというのは、一見太っ腹のようで、その実は臆病さの塊でもありました。僕は自分の開いたパーティーを無料にしていたけれど、そこには「もしも面白くなくてもタダなんだから文句を言わないで」という陰湿な理由があったことを否めません。責任が発生しないようにするという責任逃れだったのです。クオリティー低くても当然、だってタダだもん、という逃げ口上。
本当はみんなから少しだけお金を出して貰って、それでキチンとしたクオリティーのものを作るという選択肢も意識していました。
今度はそうしようと思うのです。
僕はお金を貰い、そして言い訳のできないクオリティーを提供する。
現実問題として、ただで長時間集中して長い文章を書く、というゆとりは今の僕の生活にはありません。せいぜいブログが精一杯で、そのブログにも切れ切れな記事が散見されるようになりました。
これは一つの限界だと自分で感じています。それが自己顕示に過ぎないとしても、言いたいことをみんなに聞いて貰っている立場だとしても、僕はそれなりに誠実にこの数年間ブログを書いてきたつもりです。これは僕の現在持てる資源での限界です。
これ以上のことは助けて貰わないとできないし、人々に助けて貰ってでもこれ以上のことをしたいと思っていると、ここで僕は言わなくてはなりません。
そして、お金を払ってくれた人達がちゃんと喜んでくれるだけの品質を提供する覚悟だと。
もしかした、カチンとスコップの先に当たったものは、ただのちっぽけなタイムカプセルかもしれません。しかも僕が自分で埋めて忘れていただけの。他の人にとっては何の価値もない。期待を持って掘り出したのに、中を開けてみれば僕が入れたガラクタしか出てこないかもしれない。
そんなことになってしまっても、僕は貰ったお金を返すことはできないし、ひたすら謝ることしかできない。言い方を変えれば責任は取れない。
だから、もう少しだけ自分一人で掘ってみて、もう少しだけ「これはガラクタじゃない」という確信が持てたとき、みなさんの力を借りて本格的に掘り始めたいと思います。そのとき、僕の差し出すものに賛同頂けたならば、少しだけ助けて頂けると幸いです。
半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫) | |
クリエーター情報なし | |
幻冬舎 |
わしらは怪しい探険隊 (角川文庫) | |
クリエーター情報なし | |
角川グループパブリッシング |