昔の人、今の人、未来の人

 雨の降る夜に、20世紀のことなんて振り返ったりしている。

 僕は子供の頃、古い映画や物語がとても嫌いだった。嫌いというか、怖いというか、もどかしいというか。
 それは、その物語の世界に、僕達が現代持っているようなテクノロジーがなかったからだ。電話がなかったり、車がなかったり、代わりに馬車に乗って、飛脚が手紙を運んで。そういうのを見ていると、物語の中に同調した部分の僕がとてつもない「不便」を感じ、かつ、物語に入り込んでいない部分の僕が「あのね、未来には自動車というとても便利なものができるから、馬に車を引いて貰う必要なんてなくなるんですよ。馬の速さ競って偉そうにしてるけれど、自動車は時速300キロとか出るんですよ」と、まだ何も知らない昔の人達に言いたがる。

 そういう「古い物語がイヤ」症状がいつなくなったのか、はっきりは覚えていない。気がついたら過去だろうが未来だろうが、いつの時代の物語であろうと、あるいは僕達の持つ時間軸のどこにも属さない世界の物語であろうと、なんだってOKになっていた。

 その理由は、たぶん僕が社会というものは人間で構成されていて、その基本的な営み、喜びというのはそれほど大きくテクノロジーに依存するものではないと気付いたからだと思う。
 僕の知る限り、いつの時代の人々も、歌を歌ったり、お酒を飲んだり、恋をしたり、子供を育てたり、生活の根本はそれほど変わるものではないみたいだった。
 そう思うと、急になんだかほっとした、仮にタイムスリップして違う時代に行ってしまったとしても、そこにはその時代を生きる人々がいて、そこで僕は、彼ら彼女らと、その時代の楽しみをして暮らせばいいのだと。

 これは時間に関してだけでなく、空間的なことに関しても言える。
 どこか遠くの知らない街や村へ行くことがあっても、そのときはその場所にいる人達と仲良くすればいい。

 もちろん、その時代、その場所、にいる全ての人達と仲良くすることはできないだろう。現に、僕は今この世界にいても、誰とでも仲良くできるわけじゃない。それでも、人のいる所にはきっと誰か気の合う友達や、好きになってしまうような人がいるに違いない。

 そう言えば、先日ツイッターで「昔の人って」から始まる一連の投稿をした。
 こんな感じで、

 昔の人って、なんかトイレのあと紙でお尻拭いてたらしーよー。こうやって手でww しかもその紙ってのがすんごい薄いの、げ〜。 とかいつか言われる時代が来るのだろうな。

 昔の人って、なんか歯ブラシとかいう小さいブラシに歯磨き粉っていう、粉ってくせにペーストのをつけて、それで歯の掃除してたらしいよ。しかも、そのブラシって同じの何回も使うんだって、汚いね、昔の人は。 とか言われる時代がいつか来るのだろうな。

 昔の人って、ケータイとかいうのわざわざ持ち歩いてたらしいよ。手で操作してたんだって、画面こんなに小さいくせにそこで映画みたりもしてたらしい、ププ〜 スマートフォンって名前らしんだけど、どこがスマート?原始的ww っていつか言われるんだろうな。

 昔の人って、寿命80年くらいで、人生80年とか言ってたらしいよ。とか言われる未来がいつか来るのだろうな。

「昔の人って、なんか薄ーい紙でお尻拭く時代の次は、なんか水でお尻洗う装置発明したらしいよ」「へー、水って?」「うん、なんかこう便器の中からビューと出てくるらしい」「えっ!便器の水?」「まさかそんなことないと」「なんか汚いね昔の人はやっぱ」 とか言われる時代が来るのだろうな

「昔の人って、なんかコンタクトレンズとかいうレンズを目に入れてたらしいよ」「えー、まじで?痛いでしょ?」「柔らかいあまり痛くない素材を開発したらしい。酸素も通して目にあまり負担は掛からなかったらしいよ」「へー、昔の人の知恵ってすごいな、やっぱ」とか言われる時代が来るのだろうな

「昔の人って、なんか道にゴミを置いてたらしい」「ゴミだらけだったの?」「置いていい時間は決まっててそれを車で集めてたみたい」「じゃあその時間は道にゴミ一杯あって更にそのゴミを載せた車が街中走ってたの?」「だろうね」「昔の人はワイルドだなやっぱ」とか言われる時代が来るのだろうな

「昔の人って、なんか傘とかいう棒の先に小さい屋根が付いたのを手に持って雨の日歩いてたんだって」「へー、でも風吹いてたら小さい屋根じゃ濡れるんじゃないの」「うん、濡れたらしい」「あっ、そうなんだ濡れたんだ」「昔の人は我慢強かったみたいだから」とか言われる時代がいつか来るのだろうな

「昔の人って、なんか人が死んだら集会開いたらしいよ」「えっ、まさかパーティー?」「違うに決まって。。。いや待てよ。そういやお坊さんとかいう人が来てお経という種類の歌みたいなの歌うらしいから、パーティーだったのかなあ、意外に」「かもね、昔の人は良くわかんないなあ」

「昔の人って、なんか人が死んだら燃やしてたらしいよ」「えっ、ほんとに?それはまた過激だね」「うん、それで燃え残った骨を骨壺という骨専用の壺に入れて家に持って帰ったらしい」「えっ、なんで?」「いや、よくわかんないんだけど」「ふーん」

「昔の人って、なんか石油で作った洗剤で食器とか体とか洗ってたらしいよ」「えっ!石油ってあれでしょ、地面の下に」「うん、あれ」「あんなので洗ったら余計に汚れるんじゃないの?」「そこを昔の人の知恵でなんとか」「知恵っていうか他になんかもっとあったんじゃないの?」「さーね」

 この日、僕は急になにもかも、現代の全てが古臭く見えて、それでこういう普段から感じていた違和感のことをツイートした。
 今は未来の過去だということを、最近ひしひしと感じる。
「馬って。。。自動車は300キロでるんですよ」と言っている僕は未来の誰かに言われるのだ。「自動車ってガソリン燃やして走って原始的だね。今のナントカカントカ(まだ発明されていない未来の何か)はワープできるのに」

 僕たちには常に未来がある。

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