武術の話の続き。
昨日、いくつか紹介したい動画があると言って終りましたが、今日はそれを紹介していこうと思います。
最初に塩田館長の動画からです。
塩田館長の動画はyoutubeにもいくつかあるし、検索すれば大体のところはみることができます。
ここには有名なのを一つ貼りつけておきます。
ほとんど息切れしていないところに鍛錬のすごさが見える。
あと始まってすぐ、横面を返したときの立ち姿がすごく綺麗だ。
これはあくまで演武だから、多少の演出はあるに違いないけれど、色々な証言を聞くに塩田館長は本当に強かったんだと思う。
とは言うものの、実際に自分が稽古をつけてもらったことはないので、本当のところは良く分からないという他ない、と思っていたら、バラエティ番組の中で撮影された興味深い映像が2つありました。
1つ目の映像では、1分30秒を過ぎたあたりでお笑いタレントが塩田館長に不意打ちを図り見事にカウンターを入れられています。
2つ目の映像では、演武を見た後に「でもこれってお弟子さんが上手いからなだけじゃ。。。」というようなことを板東英二が言い、試しに塩田館長の胸ぐらを掴みかかるのですが、あっさり捌かれています。
共にテレビだからヤラセだ、と疑えばどこまででも疑えますけれど、僕はこの人は本物だったのだと思っています。
そう、本物だったのだろうと、2つの意味合いで思っています。
一つは、単純にこんなすごい人がいたのだ。すごい!というスタンスで、もう一つは、こういうことを人間は実際に行うことができるのだ、と信じた方が様々な点で都合が良い、というややプラクティカルで打算的なものです。
基本的には信じているけれど、でも凄すぎるし自分で確認したわけでもないので、完全には信じきれない。でもやっぱり信じている。それに事の真偽よりもこういう人がいたことにした方が何かと良い、というような所です。
すこし合気道から話は逸れるのですが、僕は小学生の時に映画back to the futureを見てスケートボードを買って貰ました。とは言っても当時のスケボーは固い一枚板で、板のしなりもないので、大したトリックがありませんでした。古いスケボーの本に載っているトリックは、板の上で逆立ちしてみるとか、前輪だけで走ってみるとか、手をついて後輪をスライドさせてターンするとか、その程度のものばかりでした。何が言いたいかというと、基本的にスケボーというのは地面の上を滑るもので、トリックも地面の上を移動する範疇を超えるものではなかったということです。もしも地面を離れるつもりならジャンプ台かハーフパイプが必要だった。
ところが、高校に入ってから買ったスケボーは現在のスケボーと同じ形(板の上面が黒いやつです)で、板もしなるし、上面全体に滑り止めが施されていて、なんとすこし練習するとオーリーというジャンプができるようになります(駅前なんかでバタンっと大きな音を立てて練習しているのを見た人もあると思う)。
タイヤの付いた板の上に乗って、上手に飛び上がると、なんと自分が乗っている板まで一緒にジャンプするのです。もちろんスノーボードのようにバインディングもなにも付いていません。靴は単に板の上に乗っているだけで固定器具なんてない。
不思議ですよね。
僕は練習してオーリーが飛べるように(高くはないけれど)なったわけだけど、それは実際にオーリーを飛んでいる人たちのビデオを友達が持っていたからだった。実際にそれをしている人がこの世界にいたからだった。もしも先人が一人もいなかったら、目の前にスケボーがあっても、僕はオーリーなんて考えつかなかったと思う。もしも考えついたとしても、練習の途中で、こんなのどうせ無理なのだ、と思ってやめてしまったと思う。
できたのは一重に先人がいたからだ。できる人がいるのだから自分もできるかもしれない、少なくとも原理的にはできるはずだ、と思ったからだ。
同じように、武術においても「できない」という枠を外すためにも、より遠くを目指すためにも、神業を持った人が本当に存在する、ということにした方がいい(念を押すと僕は普通に信じているけれど)。
塩田館長は若い時に柔道剣道をやっていた血気盛んな人で、植芝先生に一瞬で投げ飛ばされて、それから合気道を始められたということだ。それから8年間、塩田館長は植芝先生に合気道を習われたわけだけど、植芝先生の教え方や、あと有名な金魚による反射神経の養成などを合わせて考えると、塩田館長はほとんど自前で合気道を体得したのではないだろうかという気がする。目の前に植芝先生という超人的な人がいて、その人が実際にできていることだから自分にも実際に出来るはずだと試行錯誤を重ねたのだと思う。
植芝先生はもうエピソードに事欠かない人で、「赤い光が飛んでくるから、それを避ければ、その後に銃弾が飛んでくる」と言って鉄砲にも当たらない等、超人的な伝説がいくつも残っている。
他にも、昔の武芸者の伝説は日本に沢山残っていて(葉っぱが地面に付く前にそれを十何回切ったみたいな話です)、それらを「ただの昔話」ではなく、「本当にあったこと」と考えるところから武術の研究をはじめて、実際にかなりの成果を挙げていらっしゃる方に甲野善紀先生がいます。
甲野先生には実際に技を掛けて頂いたこともあるので、僕も今では人間には想像以上の身体能力が備わっているのだと思っています。
今日も長くなったので、また次回に続きます。
最初に塩田館長の動画からです。
塩田館長の動画はyoutubeにもいくつかあるし、検索すれば大体のところはみることができます。
ここには有名なのを一つ貼りつけておきます。
ほとんど息切れしていないところに鍛錬のすごさが見える。
あと始まってすぐ、横面を返したときの立ち姿がすごく綺麗だ。
これはあくまで演武だから、多少の演出はあるに違いないけれど、色々な証言を聞くに塩田館長は本当に強かったんだと思う。
とは言うものの、実際に自分が稽古をつけてもらったことはないので、本当のところは良く分からないという他ない、と思っていたら、バラエティ番組の中で撮影された興味深い映像が2つありました。
1つ目の映像では、1分30秒を過ぎたあたりでお笑いタレントが塩田館長に不意打ちを図り見事にカウンターを入れられています。
2つ目の映像では、演武を見た後に「でもこれってお弟子さんが上手いからなだけじゃ。。。」というようなことを板東英二が言い、試しに塩田館長の胸ぐらを掴みかかるのですが、あっさり捌かれています。
共にテレビだからヤラセだ、と疑えばどこまででも疑えますけれど、僕はこの人は本物だったのだと思っています。
そう、本物だったのだろうと、2つの意味合いで思っています。
一つは、単純にこんなすごい人がいたのだ。すごい!というスタンスで、もう一つは、こういうことを人間は実際に行うことができるのだ、と信じた方が様々な点で都合が良い、というややプラクティカルで打算的なものです。
基本的には信じているけれど、でも凄すぎるし自分で確認したわけでもないので、完全には信じきれない。でもやっぱり信じている。それに事の真偽よりもこういう人がいたことにした方が何かと良い、というような所です。
すこし合気道から話は逸れるのですが、僕は小学生の時に映画back to the futureを見てスケートボードを買って貰ました。とは言っても当時のスケボーは固い一枚板で、板のしなりもないので、大したトリックがありませんでした。古いスケボーの本に載っているトリックは、板の上で逆立ちしてみるとか、前輪だけで走ってみるとか、手をついて後輪をスライドさせてターンするとか、その程度のものばかりでした。何が言いたいかというと、基本的にスケボーというのは地面の上を滑るもので、トリックも地面の上を移動する範疇を超えるものではなかったということです。もしも地面を離れるつもりならジャンプ台かハーフパイプが必要だった。
ところが、高校に入ってから買ったスケボーは現在のスケボーと同じ形(板の上面が黒いやつです)で、板もしなるし、上面全体に滑り止めが施されていて、なんとすこし練習するとオーリーというジャンプができるようになります(駅前なんかでバタンっと大きな音を立てて練習しているのを見た人もあると思う)。
タイヤの付いた板の上に乗って、上手に飛び上がると、なんと自分が乗っている板まで一緒にジャンプするのです。もちろんスノーボードのようにバインディングもなにも付いていません。靴は単に板の上に乗っているだけで固定器具なんてない。
不思議ですよね。
僕は練習してオーリーが飛べるように(高くはないけれど)なったわけだけど、それは実際にオーリーを飛んでいる人たちのビデオを友達が持っていたからだった。実際にそれをしている人がこの世界にいたからだった。もしも先人が一人もいなかったら、目の前にスケボーがあっても、僕はオーリーなんて考えつかなかったと思う。もしも考えついたとしても、練習の途中で、こんなのどうせ無理なのだ、と思ってやめてしまったと思う。
できたのは一重に先人がいたからだ。できる人がいるのだから自分もできるかもしれない、少なくとも原理的にはできるはずだ、と思ったからだ。
同じように、武術においても「できない」という枠を外すためにも、より遠くを目指すためにも、神業を持った人が本当に存在する、ということにした方がいい(念を押すと僕は普通に信じているけれど)。
塩田館長は若い時に柔道剣道をやっていた血気盛んな人で、植芝先生に一瞬で投げ飛ばされて、それから合気道を始められたということだ。それから8年間、塩田館長は植芝先生に合気道を習われたわけだけど、植芝先生の教え方や、あと有名な金魚による反射神経の養成などを合わせて考えると、塩田館長はほとんど自前で合気道を体得したのではないだろうかという気がする。目の前に植芝先生という超人的な人がいて、その人が実際にできていることだから自分にも実際に出来るはずだと試行錯誤を重ねたのだと思う。
植芝先生はもうエピソードに事欠かない人で、「赤い光が飛んでくるから、それを避ければ、その後に銃弾が飛んでくる」と言って鉄砲にも当たらない等、超人的な伝説がいくつも残っている。
他にも、昔の武芸者の伝説は日本に沢山残っていて(葉っぱが地面に付く前にそれを十何回切ったみたいな話です)、それらを「ただの昔話」ではなく、「本当にあったこと」と考えるところから武術の研究をはじめて、実際にかなりの成果を挙げていらっしゃる方に甲野善紀先生がいます。
甲野先生には実際に技を掛けて頂いたこともあるので、僕も今では人間には想像以上の身体能力が備わっているのだと思っています。
今日も長くなったので、また次回に続きます。