曖昧な未来の天気。

 先日、あるシンポジウムで統計学の専門家が

「電話調査にしても、インターネットの調査にしても、世論調査にはそれぞれ調査対象となる母集団に偏りがあって、でも各機関、その偏りを出来る限りなくす努力はしていて、もうできる限りのことはしているわけですからもう仕方ないわけです」

 というようなことをおっしゃっていた。例えば電話なら固定電話にしかかけないことになっているので、若者は既に弾かれている、みたいな偏りのことです。
 これは、もっと端的に書き換えると、

「偏っていて間違っているけれど仕方ないから使いましょう」

 ということで、そんなバカな話はないだろうと僕は思います。

 各機関でできないのなら、いくつかの機関で協力してデータを集計してということだって本当ならできるはずだ。電話調査とネットの調査を混ぜたり色々できるのではないだろうか。

 うちではこれで限界だから、間違ってるのは分かっているんだけど、まあ仕方ないからさ、みたいなのは意味が無いだけじゃなくて有害だと思う。それならはっきり我々だけでは意味のある世論調査はできません、と言うべきだと思う。意味ありげに新聞に載せてコメンテーターみたいな人に分析させて人々に聞かせるというのは出鱈目にもほどがある。

 これと似ている物に天気の週間予報があります。
 1週間先の天気なんて現代科学では全く予測できないのに、正々堂々と今週の土曜日は雨です、みたいなことを発表しているわけです。土曜日になるまでに、この予報は何度も変化する。昨日雨だと言っていたのに、次の日にはすっかり忘れて、晴れです、とかなんとか。結局まともな予報ができるのは金曜くらいになってからで、それまでの予報には全く何の意味もなかったわけです。

 なのに、どうして週間天気予報はなくならないのだろう。
 明日と、せいぜい頑張っても明後日の天気がなんとなく分かるくらいが関の山なので、申し訳ないけれど1週間後の天気は分かりません。だから今日からもう週間天気予報はしません。とでもアナウンスしてやめればいいのになと思う。