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 1998年の退屈な旅について話そう。1998年、僕は19歳で彼女は26歳だった。「それにしても26というのは退屈そうな数字だと思わない?なんだか26歳の1年間はなんにも面白いことなんて起こりませんからそのつもりで、って言われているような気分よ」大学が夏休みに入る3日前、香奈の誕生日を祝うケーキにロウソクを差し込んでいると、マッチのケースを放りながら彼女はいつものようにさっぱりとした口調で言った。実際、その3日後に僕達がはじめた旅はひどく退屈なものだった。香奈のminiMK9にテント寝袋その他諸々を積み込んで、やや窮屈でひどく退屈な旅を僕達は夏休みの始まる素敵な夏の朝に始めた。京都を出て、とりあえずそのまま紀伊半島を一回りしてみるつもりだった。阪神高速湾岸線を走り海が見える頃、僕達の気分は実に爽やかで期待に満ちていた。KIXに降り立つ飛行機と飛び立つ飛行機を眺めて、春休みには飛行機を使うような旅に出ようと遠い未来の計画を話し、それから彼女はあれを見てだのこれを見てだのと忙しく景色に話題を振った。運転する僕はゆっくり左右を眺めるわけにもいかなかったけれど、それでも彼女が何を本質的に言いたいのかは良く理解できた。外にはつまり始まって間もない眩しいばかりの夏が広がっていた。
 僕達は丁度1週間かけて紀伊半島を反時計周りに回った。千畳敷だとか三段壁だとかアドベンチャーワールドだとか南方熊楠の博物館だとか伊勢神宮だとか夫婦岩だとか、海沿いにある大体の観光スポットには行ったと思う。アルバムからもれて、いつの間にか引き出しの奥でハサミや葉書や裁縫セットに紛れていた1枚の写真には僕しか写っていない。千畳敷の上で僕が飛び跳ねた瞬間を彼女が撮った写真だった。11年前の僕はサイケデリックなシャツを着て足を開いたまま空中に静止していた。背景は少し曇った夏の空だった。

 おどけた写真を取り合うカップルの話をしよう。
 2年前の夏の話だ。僕達は美術館に併設されたカフェでパスタを食べながら道行く人々を眺めていた。大抵は下校する高校生だった。僕達は遠く離れた土地で見慣れない制服を貶し、散歩する犬達を誉めた。そこへ通りかかったカップルは3年くらい前の洋画科学生が着ていそうな服の平均値みたいな服を着ていた。彼らはお互いにベンチやオブジェの前で可笑しなポーズをとって写真を撮り合っていた。その隣を老人が子犬を連れて通り過ぎ、犬にはどのポーズがおかしいのかなんて分かりはしないのだろうなと僕は思い。彼女が何を考えているのかは知れたものじゃなかった。秋の匂いが微かに落ちる秋の太陽はまだ高く、空は存分に晴れ上がって暗く深い影を街の到る所に作り出していた。