911

 昨日の夜、大宮通を自転車で走っていると、タコ焼き屋の店頭でタコ焼きを買っている友人にばったり会った。彼は、僕も知っているみたいなのだけど、どうにも誰かだ思い出せないアメリカ人と待ち合わせていて、結局そのアメリカ人は来なくて、色々と二人で話し込んでいるうち、時計は深夜を周り、そこで彼は「911になった」と言った。

 さて、911です。
 僕達は単純に「忘れてしまう」という方法で911を消化しましたが、11年前の9月11日に、あのなんだか良く分からない事件は起きました。事件は起きたけれど、なんだか分からないことはないんじゃないの? アルカイーダがテロをアメリカに仕掛けて、アメリカが「テロとの戦い」で戦争して、そして終結した。何が分からないの。イラク戦争ごたついたけど、別にわからなくはないんじゃないの? と言われるかもしれない。
 でも、やっぱり僕にはこの事件に関して良く分からないことが多いのです。事件そのものについての疑問と、事件の取り扱いについての疑問と。大まかに二重の疑問がある。疑問ではなくて不満かもしれませんが。

 ええ、平たく言うと、僕は「陰謀論」の話をしようとしています。
 はい、陰謀論です。
 「ええー、実はアブナイ人だったんだ。。。」と言われても書きます。
 なんというか、ちょっと変わった分析がでると「それって陰謀論でしょ、ププー、馬鹿じゃないの、頭悪いw」と簡単に否定して蓋をして常識で編まれた日常に浸って、さらにそれで何かに勝った気分になれるような人には、まあ「ぷww」って言われるのだろうけれど。

 でも、いくつもの国を巻き込んで一つの戦争をはじめるには、周到な作戦というか、「陰謀」なんて、むしろあって当然なのではないでしょうか。

 911のビルの崩落に関しては、「なんか変」という意見がたくさん出ています。ビルに飛行機は突っ込んでいないとか、そもそもあのビルは飛行機が突っ込んでも大丈夫なように設計されていたとか、火災でビルはあんなふうに崩落しないとか、ビル解体で爆薬を仕掛けたときと同じように柱が切れているとか、911の真実を解明する科学者集団とか、そういう人達もいてそれぞれに見解を発表したりしています。
 僕が自分で解析したわけではないですが「ビル崩落速度が自由落下の速度である」という発表もされています。つまり下になんの支えもない状態でビルは崩れたわけです。下の階がきれいにダイナマイトで吹き飛ばされて。
 他のことは良く分からないにしても、たとえば飛行機が突っ込むことが事故として想定されていて、それに耐えられるように設計されているビルが、似たような他のビルが大火災を起こしても崩落しなかったにも関わらず、どうしてか飛行機が突っ込んでから僅かな時間の火災でビルの解体工事のようにきれいに崩落した、というのが、「どうしてか」起こったのだとしても、崩落速度が自由落下速度に等しいというのは重力異常地帯でもあるまいしそれだけでビル崩落が人為的なものであることを証明している。

 話はここからなんです。
 911に関しては、実は飛行機の残骸だとかそういった証拠は何も提示されていません。単に政府がそういっているだけです。対して、ビルの崩落が変なのはビデオで崩落速度を見れば科学的に明らかになることです。
 しかし、一旦政府のような「権威」がある発表を行い、その内容が「常識」に登録されてしまうと、もう科学もへったくれもありません。「なるほどね、科学的に明らかですね、でも、そうは言っても、やっぱり”なんらかの事情で”そういうことが起きたんじゃないですか」と奇妙な仕方で吸収されてしまうのです。僕達は一旦設定された周知の事実を書き換えるのに莫大な労力を必要とします。

 さらに、これをクリアしたとしても、それでも「ふーん、だから何?」ってなるんです。

 実際に僕がそうです。
 僕は911で起きたことは「変だ」と思っています。でも、同時に「だから?」という気分もあります。あるというかほとんど「だから?」という気持ちばかりです。
 たとえば、僕が911をアメリカの言うとおり素直に信じている人に出会って、そしてこの「陰謀論」を説いて、その人が完全に納得してくれたとします。でも、それがなんだというのでしょう。その人が「ふーん、そうだったんだ、ふーん」と言って、それで終わるわけです。説得できたのが一人に過ぎないからでしょうか。たぶんそんなことはなくて、仮に世界中の人が「ふーん、そうだったんだ、ふーん」と言ったところで、やっぱりそれがなんだというのでしょうか。
 もしも、真実を誤った歴史認識があったとして、その認識の主体というのは誰なのでしょうか。誰が認識を改めた時に僕達は「これで歴史は正された」と納得するのでしょうか。