エコロジー。

2007年5月14日月曜日

 週末の疲れか、あまりぱっとしない1日。
 プログラムをミニマルに書き換えるもうまく動かない。
 夜はとても眠かったので大人しくOCとマクガイバーを見て眠る。


2007年5月15日火曜日

 この夏からドイツへ留学するYちゃんが京都に来ているので、昼に彼女の馴染みのお店でランチをして、そのうちYさんだとか色々な人が入れ替わり立ち代りやってきて、気が付いたら7時で、僕は7時間も同じ店にいたことになる。
 話が原発のことになって、「原発1基と同じだけの電気を作ろうと思ったら、太陽光発電の場合山手線の内側を埋め尽くす面積の太陽電池がいる」ということをYちゃんが言って吃驚した。
 これは、「原子力発電所が必要だ派」の人々による「太陽電池では原子力発電に肩代わりできない」という主たる理由の一つらしいけれど、僕はたったのそれだけの面積でいいならすぐにでも変えたほうがいいんじゃないかと思った。

 これってものすごく現実的な数字だと思う。
 山手線の内側面積はだいたい63平方キロメートルで、僕の住んでいる京都市の面積は830平方キロメートルだから、もしも京都市原発一個相当の太陽電池パネルをもとうとすれば面積のわずか7、8パーセントにパネルを敷けばよいことになる。家の屋根とか使えばこれって楽勝ですよね。

 もちろん最初のコストは高くつく。だけど、放射性廃棄物が発生して、その管理をこの先何万年もしていくことに比べればリスクもないし随分な安上がりだ。幸いにもシリコン太陽電池の主成分珪素は砂の中だとか地球上にたっぷりとあるし、珪素の精製やデバイスの製作に使われるエネルギーはある程度の太陽電池式発電工場を作ってしまえばそこからの電力でまかなうことができる。
 昔、産総研の人にも聞いたけれど、本当はエネルギー問題なんてもう技術的には解決しているのだ。単に政治的な、あるいは経済的な理由で、僕達は石油やプルトニウムで発電し続けて地球を汚しているにすぎない。はっきりいってその観点から京都議定書なんて笑い種でしかないと思う。あれはハードルが異常に低い。

 エコだエコだって広告を張りたくって、そうして消費者は省エネ型の冷蔵庫やエアコンを買うけれど、本質的にはそんな末端の消費電力だけを抑えても意味がない。当然、消費電力が少なくなり、発電が少しで済むようになり、火力発電所の出力は抑えることができるかもしれない。だけど基本的には原子力発電の発電量はそんなに小まめに調節の利くものではないし、つまり二酸化炭素の排出が減ったとしても放射性廃棄物は同じ割合で排出され続ける。
 逆に、全ての発電が自然エネルギーになれば、それはもう無尽蔵だし、別に電気の使用量を末端で減らす必要はない。たとえば家の全電力を太陽電池でまかなっている家庭があるとして、その家のなかで電気を小まめに消したりする必要はもうないし、エアコンの温度を28度にするとかそんなことも気にする必要はない。自然エネルギーを使ったほうが僕達は我慢の要らない贅沢なくらしができる。

 出版社から電話があって、先日文学賞に出した短編小説が最終選考で駄目だったのこと。640作品中14作品までに残ったらしいのでまあ良しとする気持ちもあるけれど、とてもがっかりした。