水島/敦賀


 2011年7月24日日曜日

 久しぶりに早起きをした。真夏とはいえ、朝の5時30分はまだ涼しい。開け放った窓の外から鳥達の声が聞こえている。町はまだ静かだ。冷蔵庫からプラムを出して、3つ齧る。それからCHUMSのドラムバックに海水浴の道具を詰め込んで、出掛ける用意をした。6時半の電車に乗って山科駅まで行く。7時過ぎに大阪からやってきたM君達の車に拾って貰う。今日、一緒に海へ行くのは全員が学部修士を共に過ごした友達だ。M君は今ドイツに住んでいて、明日の朝9時のフライトでドイツに戻るので、今日は夜早目に帰ろうという思惑があって早朝の出発となった。
 目的地は福井県敦賀の水島というとても小さな島だ。基本的にはそこで海水浴でもしよう、という以外に何の計画もなかった。

 山科駅を出てすぐに京都東インターから高速に乗る。まだ朝が早いせいか、1000円均一という料金設定がなくなったせいか、高速道路は空いていてサービスエリアで休憩を挟んでも敦賀には9時頃着いた。
 敦賀で高速を降りて少し走ると、港に大きな船が見える。自衛隊だか海上保安庁だかの護衛艦ということだった。遠目に人がたくさん乗っているのが見える。僕達は一般公開かなんかの日なんじゃないかと、船の近くまで行ってみることにした。

 船を目指して車を走らせていると、途中で制服を着た男の人が誘導を行っていた。彼は僕達に右へ行くようサインを出すのだけど、船は左だった。車を止め、窓を開けて「船を見に行きたい」ということを伝えると、彼は「チケットはあるか?ないなら、悪いけれど船に乗ってもらうことはできなくてフェンスの外から眺めるだけということになるけれど」と言った。乗れないのはがっかりだけど、まあ、せっかくここまで来たわけだし、僕達としてはフェンスの外から眺めたり護衛艦をバックに写真を撮るだけでも良いと答えると、彼は「じゃあ向こうに見える駐車場の入口にいる人にそう言って下さい」と、道路を左にいくらか行った辺りに立っているやはり制服を着た2人の人の方を指した。

 駐車場の入口でその旨を告げると、快く車を止めることを許可してもらえたので、僕達は車を止めてカメラを持って護衛艦の方まで歩いた。門のところまで行くと「関係者向け公開」と書いてあった。どうやら一般公開というわけではないようだ。門兵さんにも「チケットがないけれどフェンスの外から」ということを伝えると、「悪いけれど最近はテロとかの警戒が強くて入れてあげれない、その辺から見てて」と言われる。

 ところが、僕達がフェンスの前から護衛艦を眺め、さらに敬礼のポーズなどで写真を撮っていると、奥の方から制服を着た人が2人こちらへ向かって歩いて来た。なにかいけないことを僕達はしたのだろうか、と思っていると、彼らは「お弁当、持ってる?」と良く分からないことを尋ねた。
「もうすぐ出発して、4時くらいまで航海して戻って来るんだけど、良かったら乗ってもいいよ。でも飲み物くらいはちょっとあるけれど、食べ物はないから。チケットないの。うん、それも別にまあなくてもいいよ」

 この思わぬ申し出に、一同もう歓喜してしまい「乗ろう乗ろう。海水浴はもう夕方に軽くでいい」という雰囲気になっていたのだけど、一人冷静なI君が「ちょっと待って、まだ朝の9時半だよ。4時まで航海って7時間くらいあるわけで長すぎじゃないのいくらなんでも」と僕達を宥めた。
 それで、折角の申し出を丁重にお断りして僕達は車まで戻った。
 ただ、水島について海に入るまで、僕はこの貴重な機会を逃したことで落ち込んでいた。実は独りででも護衛艦に乗ろうかと一瞬考えたのだけど、今日は一時帰国のM君達と過ごすことが一番の目的だったのでやめにした。

 後ろ髪引かれる思いで護衛艦を後にして、水島へ渡る船着場を目指す。
 着いてみれば、思ったよりもずっと近くに島はあった。海岸から、ちょっと頑張れば泳いででも渡れそうなくらい目と鼻の先に浮かんでいた。
 水島は「水島リゾート」と画像検索すればとても綺麗な写真が出てくる。「福井のハワイ」なる、なんとも日本的場末的な呼び名もあるらしい。小さく細長い、真っ白なビーチでできた島。周囲に広がる薄い水色の海。ところが、まあ実際に現れた水島は普通の日本海の色合いをたたえた島だった。渡し舟に乗って上陸してみると、敷き詰めた石だとか不自然なビーチとか、かなり人工的な島であることが伺えた。残念なことに写真でみた"リゾート!”感は皆無に近かった(後に島の端で一部リゾート色を発見するが、ほんの一部だった)。リゾートどころか、水島は敦賀原発のすぐ前なので、渡し舟から原発が見える。たぶん1キロくらいしか離れていないような気がする。こんなところで泳いでいていいのだろうか、という気分になる。

 それでもまあビーチには違いないので、僕達は松の木の木陰に簡易テントを設営して水着に着替えて日焼け止めをベタベタと塗った。特に僕はもともと色が白い上に、10年ほど前、日焼け止めを怠りひどい目にあったことがあるので、日焼け止めはたくさん塗ることにしている。
 水に入ると、浅い部分には石が多くて痛い。ビーチとしては結構ひどい部類に入る。例によって海水浴場はブイに囲われているのだけど、ブイまで行っても足が付くほど浅い。泳ぐ、ということに関してはもう全く適していない。泳ぐというか、ビーチで呑気に過ごすのにここは向いているようだった。
 朝が早かったお陰で、時間の経過が緩やかだ。
 泳いだり、ヒトデ、ヤドカリなどを採取したり、ビールを飲んだりして一頻り堪能しても、まだ昼過ぎだった。今日は早目に帰ることになっているので、僕達は取り敢えず着替えたり片付けたりして本土に戻り、敦賀原子力館でも見に行くことにした。

 敦賀原子力館まで、水島の船着場からは車で10分程度で着く。いわゆる原発紹介施設で、敦賀原発のすぐ傍にあるけれど、別に敦賀原発を見学できるとかそういうことではない。完全に原発とは独立した立派な建物の中に、模型とか説明文とかが並べられている。
 僕達が原子力館に着いたとき、車は他に全然止まっていなかった。立派な館内は人はまばらで、ボタンを押したら模型が動いて説明が開始されるといった設備の多くが「調整中」で動かなかった。子供向けの「やってみよう」的コーナーがいくつもあるのだけど、どれもが「使いたい人は受付まで」という感じで面倒なものだった。なんというか、きれいで大きくて、でも寂しい設備だった。それが3.11以降故なのかどうか僕には分からない。

 原子力館の後、もんじゅを見に行くかという話になったけれど、随分な回り道になるようだったので、やめにして温泉に向かった。車を2,30分走らせた辺りにリラ・ポートという巨大な温泉がある。山肌に立つ大きな近代建築は遠くからでも目に着く。僕達と同じように海水浴帰りの人々でこの温泉は賑わっていたから、普通にビジネスとして成立しているのかもしれない。でも、やっぱり原発補助金というものも頭をよぎる。
 籐の椅子やテーブル、それから座敷などもある広い休憩所で待ち合わせて、じゃあ、だいたい30分後くらいに、と男女別れてお風呂に入る。お風呂は水着着用のバーデプールと大浴場、サウナ、露天風呂からなるものだった。露天風呂に浸かりながら、M君と、明日の朝ドイツに戻るなんて信じられないね、というような話をする。それは水島のビーチでもした会話だったし、この日、他の場面でも何度か交わされた会話だった。これはそういう日帰り旅行で、この日はそういう日だったのだ。

 お風呂を上がった後、休憩所で籐の椅子にダラリと座りながらソースカツ丼を食べに行くことが可決される。僕は地方の観光地の温泉の休憩所や旅館のロビーみたいなところが結構好きだ。あと高速のサービスエリアも。あの全体的にダラっとした気怠い感じがなんとも言えない。

 「味のお城」なる、ヨーロッパ軒本店という良く分からないお店で、茶色い、という以外になんとも形容し難いソースかつ丼を食べて、それから僕達は敦賀を後にした。多賀のサービスエリアでコーヒーを買い、コーヒーというのは良い飲み物だなと思う。みんなでお酒を飲むよりも、みんなでコーヒーを飲むほうが、なんだか素敵なことのような気がした。

 僕が山科駅に戻ったのは8時くらいだった。
 次に会うのがたぶん1年後とかそういうスパンになるM君と握手して別れて、僕は駅の改札をくぐった。もうクタクタだったし早く部屋に帰って眠りたかったけれど、なんだか深い寂しさが込み上げて、今日一緒に来ることのできなかった友人に連絡をして、帰る前にコーヒーを飲みに行くことにした。
 そうしてカフェでいくらか話をして、部屋に戻ると11時前だった。Tシャツを脱いで鏡の前に立つと、背中が部分的に真っ赤になっている。日焼け止めを塗り忘れた部分だ。
 まるで何かの地図みたいだなと思う。
 そうか、これは本当に何かの地図なのだ。太陽が焼き付けた地図を片手に、次の行き先を考えてみる。この地図のことはずっと昔から知っていたような気がしていた。

地の果てのダンス
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