西海岸旅行記2014夏(42):6月16日:ロサンゼルス、ベニス・ビーチ、スケートボードは魔法


 ベニス・ビーチの近くで適当に車を駐めるつもりだったが、空いているスペースがなかったので、「まあこの際有料でもいいか」と、道路沿いに現れた駐車場へ車を乗り入れた。係の男がやってきて「20ドル」と吹っ掛けてきたのでやめる。

 「じゃあ、10ドルでいい」
 
 「もういいよ、ここには駐めない」

 その駐車場を出て3分もしないうちに、道路脇の空いているスペースを見付けたので車を駐めた。もちろんタダ。車を駐めたのは住宅街の中で、5分も歩くとベニス・ビーチに出る。ビーチが近くなると流石に人も増え、水着で歩いている人もチラホラ目についた。こんな寒いのによく平気で濡れたままの半裸で歩いていられるなと思う。僕はナイロンジャケットを羽織っていて、それでちょうどいいくらいの涼しさだった。

 昼下がりから夕方に移り変わろうかという時間帯、ビーチ側の道路へ出ると繁華街のようにたくさんの人が歩いている。そうか、繁華街のようにというか、ここはれっきとした繁華街だ。こんなに混雑しているのに、その間を縫うようにスケートボードが走り抜けていく。別にここに限った話ではないが、アメリカでは日本よりもカジュアルにスケボーが利用されている。別にトリックなんてできないしする気もないけれど、便利だし面白いから乗っているという感じがある。混雑している歩道の、ビーチと反対側には店が立ち並び、土産物とか服とかスケボーとかマリファナが売られていて思い思いに音楽を流している。商品に埋もれるようにして、店の前にはATMが置かれているが、こんなところでお金を下ろす気には全然なれない。ストリートパフォーマンスも自前のラップを歌ったりダンスをしているので結構うるさい。小さなテニスコートのようなもので、サイズダウンしたテニスのようなスポーツに熱中するマダム。野外ジムで炎天下半裸の筋トレに励む男達。おじいさんが1人歩道に向かって腕を鍛えていて、僕達の前を歩いていたイケイケの女の子3人組が「絶対こっちに見せつけてる。キモイ」と大笑いする。

 一際たくさんのギャラリーを集めているダンパフォーマー。その100人以上はいる観客達の輪を抜けると、ビーチに別の人々の集団が見えた。
 真っ白で柔らかいビーチの中、そこだけ1段高くなっていて、複数の人影が光の中を滑らかに移動する。魔法が掛かっているみたいだ。夜中にこっそり覗いた、部屋明かりの妖精の影。
 残念ながら、その影は妖精の影ではない。スケーターの影だ。
 でも、そこに魔法が掛かっていることは間違いのない事実だろう。

 世間には「スケボーは目立ちたがりのアホなガキの乗り物だ」というイメージがあると思う。スケートボード自体が発達したのとスケート技術の発展で、ストリートにおけるスケボーの可動域は昔より大きくなった。今となっては信じられない話だが、1970年代まではプロスケートボーダーであってもオーリー(スケボーに乗ってジャンプ台など使わずに自力でジャンプすること)はできなかった。今ではその辺の中学生がオーリーで公園のベンチに飛び乗っている。もっと上手い人は階段の手摺に飛び乗って滑り降りる。つまり、昔はなんだかんだいってもコロコローと転がっていくその延長で二次元的にしかスケボーは動けなかったけれど、現代スケートボードは飛び上がるという三次元的な可動域を持っている。2000年代にはそうして飛び上がったスケボーにより、ベンチだとか花壇の縁が破壊されるという事象が多発してありとあらゆる場所に「スケートボード禁止」の看板が出ることになった。

 おまけにスケボーは煩い。アスファルトの上を走るとゴーッとかなり大きな音がするし、オーリーでも飛ぼうものならデッキやウィールが地面に叩き付けられてバンッと鋭い音がする。これだけでも迷惑だといえば迷惑だし、さらに乗っている当人も「はー、スケボーってなんでこんなにうるさいんだ」と思っていたりする。僕は音が気になる方なので極力柔らかいウィールを履くようにしているが、それでも気休め程度の効果しかない。

 うるさくて、危なっかしくて、公共施設の破損も招く。ストリートカルチャーだとかいって落書きもしそうだし服装はだらしないし。煙たがられて当然だが、それでもスケートボードは魔法の乗り物だ。
 地面を滑って移動する感覚。
 ちょうど徒歩と自転車の間のような手軽な移動感覚。
 日常生活における僕達の移動方法は限られている。歩く、自転車、バイク、バス、電車、車、それにあとせいぜい船と飛行機。このうち自ら操縦するのは徒歩、自転車、バイク、車くらいだ。なんとも窮屈なことに。本当は他にもたくさん移動方法はあるのだ。誰だって一度はローラースケートで街中を走り抜けたらどんなに愉快だろうかと想像したことくらいあるのではないだろうか。道具を使わなくても、本当はスキップしたって構わない。ただ恥ずかしくて実行しないだけだ。だけど、僕の数少ない先輩はかつてこう言った「人生は恥ずかしいくらいがいい」。至言。