西海岸旅行記2014夏(12):6月8日:ポートランドの魅力的ではないところ


 ランチを終えて、さてどこへ行こうかという段になると、実は僕達にはそれ程行きたいところがない。とりあえず店を出て、目の前にあるさっきと同じMAXの駅で路面電車に飛び乗った。
 ポートランドの電車も、いちいち改札を通るのではなく、乗客が切符を持っているかどうかはたまに抜き打ち検査で調べるだけのシステムなので乗り降りがとても楽だ。

 「特に行きたいところがない」なら、「どうしてポートランドへ来たのか」という話だと思うので、ここで僕達がポートランドへやって来た理由を書いておきたい。
 まず、今回の西海岸旅行の大きな目的は、この連載旅行記2つ目の記事にも書いたように、「漠然と憧れていたアメリカに本当に住みたいのかどうかを見極める」というものだった。もちろん、そこが本当に住み良い街であるかどうかは実際に住んでみないと分からない。けれど、「住みたい!」というパッションが起動するかどうかは、もっと時間スパンの短い直感的な話で、その起動があれば十分だ。去年の夏、横浜や鎌倉、湘南辺りを訪ねて「住みたい!」という気持ちが喚起されたけれど、それは今も続いているし、ソウルでも香港でも同様の気持ちになった。

 ポートランドが居住地としての候補に上がったのは、実をいうとどうしてなのか分からない。日本でのトレンドに乗せられてのことだろうか。なんとなく、もうニューヨークとかLAとかは古くなりつつあって、さらに生活費が高くなる一方でお金持ちでないとまともなところに住めない、という噂が流れていた。ニューヨークやLAといった、ハイを目指す消費社会のシンボルから下りて、新しい生活を探す若者たちがたくさんポートランドに住み始めているということも聞いていた。

 しかしながら、僕はそういうオルタナティブな生活にはそれほど興味が無い。
 「ポートランドへ行く」と人に言うと、言われた人は僕が「そういう人」だと勘違いするかもしれない。もしかしたらこの旅行記を読んでくれる人もそういう風に誤解するかもしれない。
 つまり、僕が「焙煎も自家製でゆっくり丁寧に入れたコーヒー(俗にいうサード・ウェーブ・コーヒー等)を好み、作家さんだか職人さんだかが手作りで丁寧に作ってくれた革製の鞄を好み、移動はなるべく自転車で行い、エコにオーガニックに生活している」のではないかと。
 実際には、僕はその逆の趣味趣向を持っている。コーヒーなんてどの豆でも焙煎具合でも構わないし、コーヒーっぽい飲み物だったらなんでもいい。今は夏で魔法瓶に氷を水とインスタントコーヒーを適当に入れて蓋を閉めてシェイクして飲んでいるし、缶コーヒーだって平気で飲む。「缶コーヒーはコーヒーではない」とかそういう話には一切耳を傾けない。
 作家さんだか職人さんだかの手作りグッズにも完全に興味が無い。僕が好むのはバッキバッキの精度でハイテックな工場の機械により作られたギンギンのプロダクトだ。大抵のものは人間の手なんかより、機械の方が上手く作る。機械には「職人さんの2週間」なんかより圧倒的なコスト、原始時代からの無数のエンジニアや科学者達の築いてきた叡智が詰まっている。
 自転車もオモチャとしては魅力的だけど、移動するならこれも圧倒的にバイクか車がいい。動力がついてないなんて!

 こうして書くと、現時点における「ポートランドの魅力」とされている物事の大半に僕は興味が無いのが分かる。さらに僕はこの街が自分自身で自分達を「ヘンテコリン」と位置づけているのが気に食わなかった。”KEEP PORTLAND WEIRD(ポートランドをヘンテコなままに)”と、でかでか書かれた壁があるらしいけれど、自分で自分を「変でしょ!」という人が僕はとても苦手だ。そういう人は大抵「変」なのではなくて、「変であることに憧れている」だけで、自分が変であるという宣言の裏側に、歪な虚栄心と「変」に縋りたいという弱さを垣間見てしまう。「友達が変わっている」と矢鱈に自慢する人も同じだ。「変」と「面白い」というのは別の話だし、さらに「いい!」とも全く関係のない話なので、変かどうかなんて本当にどうでもいい。

 なんだかポートランドの悪口みたいになってきてしまったけれど、悪口ついでに、あるイベントのことも書いておこうと思う。
 2014年の3月頃に、ポートランドを紹介するイベントが京都で開催された。既にポートランドはクリエイティブ系の人達の間で流行っていたので、かなり気恥ずかしいとは思いながら僕はそのイベントに行ってみた。イベントに行ってみて、これは失敗したなとか、時間の無駄だったなとか思うことはしばしばあるものの、「金返せ」と思うくらいに酷いイベントはこれがはじめてだったかもしれない。
 イベントは、あるポートランドに関するガイドブックの出版に併せて企画されたもので、スピーカーは取材や出版に関わった人達だった。基本的には取材にまつわる与太話をダラダラと聞かさせただけで、僕は2時間と2000円と何かプライドのようなものの一部を失った。
 その与太話のポイントは言うまでもなく「どう、変でしょ!(私達の知っているポートランドの人達、と私達)」だ。

 スピーカーにポートランドの大学に留学していたという日本人の女の子がいて、彼女がポートランドのホームレス事情について話していたとき僕はイライラしていたのだけど、今回ポートランドへ行ってみて、そのイライラの理由が明確になったと思う。
 まず、彼女がどういうことを言っていたかというと、ポートランドにも結構ホームレスはいるけれど、この街ではホームレスもそれなりに尊厳を持つことができて生活し易い、ということだった。
 言うまでもなく、これは嘘だ。ポートランドという街は素晴らしいと言い切りたいが、ホームレスがいるという事実も無視できないのででっちあげた言い訳に過ぎない。「ええ、ホームレスもいますけれど、ここではホームレスだって楽しく暮らせるんです。そういう素晴らしい街なんです」

 人が他人に受け入れられるには、貧乏か金持ちかとか、あるいは家があるかないかはポイントではない。つまりホームレスかどうかというのは本質ではない。人々が気にするのは清潔さだ。一定以上の清潔さが社会生活には必要で、それが欠如していると楽しく幸福な社会生活を営むことはできないし、尊厳を持つことも難しい。そして当たり前のことだが、ポートランドだろうがどこの街であろうが風呂にも入らず道端で眠っていれば人間は清潔ではなくなる。再開発に成功した都市でも、クリエイティブな若者に人気の街でも、別に魔法の世界ではないのだ。

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