雨の神戸とバルセロナスピーチ

 シンポジウム会場を出ると、雨が降っていた。今日、雨って天気予報言ってたよ、と友人は立派な傘を持っている。最初のうちはスケートボードを頭の上に掲げてなんとか誤魔化せた雨も、午後が遅くなるにつれ勢いを増し、高架下でラーメンを食べ終える頃には傘が必要な強さになっていた。コンビニエンスストアで傘を買い、メリケン波止場を目がけて靴を濡らしながら歩く。辿り着いたのは倉庫を改造したライブハウス。キャンバス地のスリッポンを染み透った雨が靴下を濡らすことを別にすれば、雨の港町というのも悪くはないな、と思う。

 2010年6月12日、僕は阪急に乗って京都から神戸まで出掛けた。読売ホールで開催された『災害時のリスクとコミュニケーションを考えるチャリティシンポジウム』に参加する為だ。電車の中でツイッターを見ると、シンポジウム出席者の一人である上杉隆さんは福島県から神戸へ移動中ということだった。そのツイートに、僕は自分が京都から神戸へ移動中である旨付け加えてリツイートする。しばらくすると「伊丹なう」と上杉さんのリツイート。一度も会ったことのない人とこういうコミュニケーションが取れるのは、やっぱりツイッターの恩恵だ。2時間後、上杉さんが目の前でいつものパソコンを開いていた。

 この日、僕は友人と南京街で待ち合わせて昼食を取ってからシンポジウムへ行き、その後あるライブを見に行ってから京都へ戻った。帰りの電車の中で、村上春樹さんのバルセロナスピーチについて少しだけ話をした。シンポジウムの内容についても書きたいことがあるし、ライブについても書きたいのだけど、今日はバルセロナスピーチについて書きたいと思う。
 どうしてかというと、僕は彼のスピーチを見たとき、彼が日本人に向かってバトンを投げたような気がしたからだ。そして、僕は日本人の一人として、勘違いかもしれないけれど、それを拾ったような気がする。

 村上春樹さんのスピーチを聞いたとき、最初に思ったのが「えっ、日本語なんだ」ということでした。村上さんは上手に英語を話すことができるし、実際にエルサレムのときは英語でスピーチをしている。でも、今回は日本語だった。国際的に活躍する作家として、多くの人々にスピーチを聞いてもらおうと思うのなら、英語でスピーチするのが最も自然だ。でもなぜか今回は日本語だった。どういうことかというと、今回のスピーチは日本人に向けてのスピーチだったということだ。
 もちろん、村上さんが英語でスピーチをしたとしても、日本語訳は僕達日本人の元に届けられる。だけど、今回はそれでは駄目だった。村上春樹という、これまでメディアへの露出を極端なまでに避けてきた作家は、ここへ来て初めて自分の肉声で日本人に向けてメッセージを発信せざるを得なかったのだと思う。アンダーグラウンドからではなく、この地上で。他の国の人にはメッセージが伝われば良かった。でも、日本人には声を「聞いて」欲しかったのではないだろうか。多分、村上さんはこのスピーチの原稿を完璧に仕上げて来て、それをそのまま一言一句違わないように読んでいる。太宰治が自分の原稿を暗記して編集者の前で諳んじてみせたのと同じように。声を介して、身体を介してしか伝えることのできない種類のものが、きっと存在していて、村上さんは今回それを用いた。

 それでは、村上春樹は、わざわざ日本語で行ったこのスピーチで一体何を伝えようとしたのだろう。語られた文字通りのメッセージは勿論のこととして、他に「戦後日本の書き換え」を図ったというのは大袈裟すぎるだろうか。
 スピーチの中で絶対に無視できないのは、

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 という広島原爆死没者慰霊碑に刻まれている言葉だ。
 村上さんはこれをわざわざ2回引いて「素晴らしい言葉」だと言っている。
 この「素晴らしい」という賞賛に対して、日立ソリューションズ取締役で経済評論家の池田信夫さんをはじめとした何名かの方々が批判をしていた。曰く「原爆に関して日本人は被害者なのに、過ちは繰り返しませんなんて加害者みたいな事をどうして言わなければならないのか」と。

 実は、僕はこの原爆死没者慰霊碑に刻まれている言葉を知らなかった。この言葉がどういう意図でここに刻まれ、どういう解釈が行われ、どういう議論が繰り広げられてきたのかも、何も知らない。でも、きっとこれまで数々の議論や論争がなされて来たのだろうとは想像できる。「原爆と碑文」は戦後の「アメリカと日本国憲法」のやや変則的な雛形にも見える。だから憲法についての議論がずっと続いているように、この碑文についても沢山の議論があるのだろうと思う。

 村上さんが碑文をここに取り上げた意図は、多分2つあると僕は思う。

 1つ目は、このスピーチで碑文を「素晴らしい」と断定的に定義して戦後の意味を変えること。かつてそこに誰のどんな意味が込められていたとしても、どんな議論があろうとも、元々が素晴らしくなかったとしても、「素晴らしい」という言葉で肯定して飲み込み、戦後日本にかかっていた「敗戦、占領、従属」という呪縛を解除すること。村上さんは今の自分の言葉に、そろそろ物凄い力があることを自覚していると思う。国家の現代と未来だけではなく、過去すらも変える力を。

 2つ目は、核や原子力、あるいはもっと広く「効率」や「便宜」の当事者は日本人だけでなく世界中の人々であるということを示すことだ。被害者と加害者という言葉の指定する範囲を拡大して繰り上げること。スピーチの中で、村上さんは「我々」と「我々日本人」を使い分けているように見える。

 少しだけ、スピーチ原稿を引用してみます。

『 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第1発電所は、3カ月にわたって放射能を撒き散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう? 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?(引用終わり)』

 碑文引用直後のパラグラフで、「我々」は日本人のことではなく「誰しも」と書かれている通り「世界の人々」のことだと思う。「我々」という単語には「日本人と世界市民」というダブルミーニングを持たせ、日本人に限定したいときはわざわざ「我々日本人」という書き方をしているように僕には見える。
 もしかしたら単に文章の調子を整える為の使い分けに過ぎないかもしれないけれど、僕はそういう風に思いました。

 もしも、僕の読み方が見当はずれなものでないとしたら、碑文の「過ちを繰り返さない」主体は全人類ということになります。それは日本語で刻まれた、日本語で宣言された全世界の意思表明であった、ということです。66年前にそういう世界宣言はあったということです。そして66年後の今、改めて同じ宣言が、カタルーニャの地で世界に向けて日本語で行われたということです。
 終盤で2度目の碑文引用を行った直後、村上さんは「我々はもう一度その言語を心に刻まなくてはなりません」と言っています。まさに彼はここで、66年前のメッセージを、同じ日本語で、たぶん意味を上書きして、文字通り再び「刻んだ」わけです。66年前のメッセージは、その音が、翻訳された意味ではなく発音そのものが世界に響き渡りました。英語ではなく日本語というヘンテコな耳慣れない言葉を話すHaruki Murakamiではない村上春樹が、それでもやはりHaruki Murakamiとして核についての新しいstoryと物語を世界と日本に対して提出したのです。
 新しい世界が、始まりました。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
文藝春秋


1Q84 BOOK 1
新潮社