孤独という言葉そのものみたいな

 秋の始まりだか夏の終わりだか、まだ蒸し暑い夜。僕はコカコーラを久しぶりに買った。店の表へ出て蓋を開けて口を付ける。顔を上げた視線の先にあるのは一つのクモの巣だった。クモの世界に学校と教科書があるとすれば、そこにお手本として載っていそうなきれいな形のクモの巣。直径は30センチくらいで、中心に大人の指先程度の大きさのクモがいる。
 炭酸水が一口僕の喉を通り過ぎる間に、クモの巣に小さな虫が掛かった。糸の振動に素早く反応したクモは、急ぐこともなく、必死にもがく虫の元へ歩み寄ると、新たな糸を吐き出してクルクルと虫に巻き付けた。

 虫を巻いた糸の玉を運んで、巣の中心まで戻る彼に感情はあるのだろうか。あるのだとしたら、それは餌が手に入ったという安堵や喜びなのだろうか。
 じっと巣の真ん中で獲物が飛び込んで来るのを待つだけの生活はどんな気分なのだろう。
 それは果てしない孤独ではないのだろうか。

 店の中では、人々が遅い夕飯や飲み物やお菓子を買っている。談笑しながら通りを歩く人々。カフェから出てくる恋人達。

 このクモは一体何の為に生きているのだろう。
 群を成さない生き物達。
 繁殖期にだけパートナーを探して、さっと交尾を済ませる以外に他者とコンタクトのない生活。
 じっと何日間も壁にとまっている蛾。そこらじゅうを飛び回っている名前も分からない羽虫達。夜中に一人で歩く猫。何百年もじっと生えている木々。土の中一人蠢くミミズ。
 世界は孤独な生き物に溢れているように見える。それともこれは孤独とは別の何かなんだろうか。

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