大山日記2

 (大山日記1の続きです)

 2日目の朝は7時起床。まさかこんなに早く起きることになるとは思ってもみなかった。
 身支度を整えて、足の裏の切り傷にテーピングをする。今日は投入堂という、観光地としてはかなり険しい山の中にある堂を見に行くので、もう一週間ばかり前になるとはいえ、なかなか思い切り良くガラス片の刺さった傷口はちゃんと保護しておかないと開いてしまうかもしれない。

 梨とパンと謎の果物のジャム、コーヒーなどで簡単な朝食を済ませ、別荘の掃除と戸締まりをした後、僕達は三徳山三佛寺、通称「投入堂」へ向けて出発した。

 大山から東へ向かい、海沿いの国道9号を走る。晴れ渡った午前中の太陽は夏の終わりだとは思えないくらいに明るく、白い風力発電の風車が青い空を背景にしっかりとしたコントラストで並んでいる。窓外の炎天下と、自動車のエアコンの微かなにおい。道の駅で買った野菜スナックとペットボトル入りのアメリカの水と、聞き慣れたいつかの音楽。僕達のカーナビとは全然違う経路で走るSちゃん達の車を追いかけて、途中で間に入ってきたそっくりな車と間違えそうになったりしながらケラケラと笑う。

 事前にネットからの情報で分かっていた通り、投入堂の受付では服装などのチェックが行われた。お寺というよりは、ライブハウスのスタッフみたいな男の人が、僕達の靴の裏を見たりしてダメ出しをする。7人中5人靴がアウトで500円のワラジを購入することになり、1人がショートパンツを普通のズボンに履き替えることになった。

「ここは行者さん達が命賭で修行していらっしゃる山なんです。だから観光気分で入山されても困りますし、実はこうしてたくさん観光気分で人が来ることに対して、ご住職はご立腹です」

 それなら山を閉ざしてしまえば良いのに。いや、住職は嫌でも奥さんが拝観料欲しいんだって「そんなので子供の授業料払えると思ってるの、あんた」とか言われて押し切られてるんだよ、きっと。などと勝手な空想の話をして僕達はクククと笑った。

 さらに、この受付のところには「日本でもっともキケンな出会い!」みたいなコピーのついた、投入堂で行われる商工会議場主催カップリングパーティーのピンク色したポスターが張られていて、ますます説得力がない。「いや、これも奥さんに押し切られて」「住職立場弱すぎだろ」などと冗談を言いながらポスターを見ていると、なんとそのカップリングパーティーは今日だった。予定時間を見ると、僕たちがそのカップリングパーティーに遭遇する率はかなり高そうだったので、一同テンションが上がる。特に女の子達はこの後もずっとカップリングパーティーのことで「ここで女子がこけそうになって男子が手を伸ばして恋が芽生える、キャー」みたいな勝手な話で盛り上がっていた。

 受付では結構な数の人が服装や靴のことで「次回改めて来てください」と入山を断られていた。
 靴はワラジがあるのでなんとでもなりますが、服はスカートだったり、足が露出し過ぎていたり、山登りにほど遠い格好だと本当に入れてもらえないので、行かれる方は注意された方が良いです。

 受付の人は「これは多分許して貰えないと思います」等のように、ここはプレチェックで、本番の検査が後でまだある、という感じの話し方だったから、僕はてっきり後にもう一度、行者っぽい人のチェックがあるのかと思っていたけれど、そのようなチェックはなかった。なるほど、そういう話術か。

 ワラジに履き替え、「六根清浄」のタスキを着け、入山届けを書いていよいよ山を上る。
 噂の通り、道は結構急斜面で、木の根に掴まって登らなければならないようなところも何カ所かある。やっぱり軍手はあった方がいいです。
 けど、まあ別になんてことありません。危険危険という程のものではないし、アスレチックな雰囲気が「大変な登山」を想起させるけれど、たぶん実際には大した移動距離ではなく、緩やかな登山道を長距離歩き続けるよりずっと楽だったと思う。実際に、ご年輩の方や小さな子供達も沢山いました。

 投入堂へ到達する前に二つ、山肌の急斜面に建てられた小さな堂があり、それぞれに狭い縁側が空中へ張り出している。柵は一切ない。結構な高さがあって、落ちたら大怪我は間違いないけれど、この縁側には入ることができる。現代日本にしては珍しく粋なはからいだし、この縁側はとても楽しかった。

 その後、岩の上に乗せられた鐘楼で一人づつ鐘を付き、岩の尾根を少し行くと、大きくせり出した岩の下に建てられた堂がある。堂はなんてことないけれど、この庇のように大きく迫り出した岩と、その下の湿気た暗い部分に生えているコケ等の植物ががなんだか美しい。

 堂の裏側、迫り出した岩の奥を抜けると、もうすぐに投入堂だ。

 崖というか岩肌の、微かな窪みに入るように建てられた堂。
 投入堂という名前の由来は、「こんな崖の真ん中に堂を作るなんて摩訶不思議。どうやって作ったのだろう。下で作ってから役小角が法力で投げ入れたに違いない」というレジェンドです。
 けど、別になんてことありません。不思議でもなんでもない。これくらい足場でも組んでちょっと頑張ったら普通に作れると思う。大工さん10人くらいで2、3ヶ月もあればできるんじゃないかと思う。
 僕は子供のときから、この手の胡散臭い伝説が好きだし、トイレの花子さんだって何度も探しに行った。大人になった今も豆塚だとか色々な伝説に興味があって、少しは調べたりもしている。けれど、この投入堂はちょっとあからさまに無理矢理なレジェンドだと思った。

 投入堂が見えたとき、僕は思わず「小さい」と呟いた。それを友達に「またそういうことを言うんだから」と咎められたけれど、後で本人がしみじみと「でもなんか小さいねえ」と呟いていた。

 とは言え、不可思議さだとか、大きさだとかに関係なく、投入堂は素敵なお堂でした。
堂を望む岩肌に腰を下ろし、僕達はしばらく話をしたり、水を飲んだり、写真を撮ったり、イチジクを食べたりした。

 一息ついて、堂の眺望にも満足して、一度来た道だから下山はますますスムーズだ。実際の移動距離が大したものでないことが下山で実感される。

 下山途中に、カップリングパーティーの団体にすれ違った。スタッフの方の話では、定員30名のところ、その倍の60名がやってきて、結局男子30人女子30人の60人でイベントを遂行しているとのこと。
 ポスターを見たとき、こんなのに一体誰が参加するのだろうと思っていたので、これにはとても驚いた。

 下山して記念撮影をして、それから足を洗ってスニーカーに履き替え、茶屋でソバを食べた後、三朝温泉のなんとかホテルまで車で移動してお風呂に入る。
 僕達がお風呂を上がって脱衣所で体を拭いているときに、さっきのカップリングパーティーの男子30名がお風呂にやってきて、脱衣所はもう大混乱になり、僕達は辟易として素早くそこを脱出した。

 そう、カップリングパーティーの人々は、投入堂までやや危険な登山を共にしたあと、汗をお風呂で流し、さらにお風呂の後、男子は「どうやったらモテるのか講座」、女子は「モテるメイク術講座」みたいなのをそれぞれに受けて、そのあとでいよいよお見合いパーティー本番という運びになっていたのです。さらにカップルが成立すると商品まで用意されているらしい。なんと身も蓋もない。

 お風呂の隣にある、マッサージ機などの置かれた休憩所で女の子達がお風呂を上がるのを待ち。そのままそこでお菓子やアイスクリームを食べて、車ごとに別れるバイバイをした。そうしてSちゃんの車組を見送り、僕達の方ではKが畳の上ですっかり熟睡していたので、彼が目を覚ますのを待ってから帰路に着く。

 京都には8時半頃に帰り着いた。沖縄居酒屋でご飯を食べてビールでも飲んでから帰ろうということになっていたけれど、僕の方でちょっとした事件が起こりキャンセルにしてもらう。
 部屋に荷物を置き、眠く気だるい体をしゃんとさせて、僕は随分とオンボロになってきたBMXに跨った。そして鴨川沿いを走りながら、数時間前まで鳥取にいたことをまるで夢のように思い出す。微かに雨の気配が漂う曇った空には、天の川どころか星もほとんど見えず、川と大気の湿度を肌に触れながら、京都へ帰ってきたのだなとしみじみ思った。

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