グレックは宇宙人にさらわれた。

 子供の頃、ときどき宇宙人やUFO関係の特番があった。世界各地で撮影されたという未確認飛行物体の映像を流して、そのビデオテープを映像の専門家だという人の所へ持っていって分析して貰う。「すくなくともこの三つ目の映像は合成ではあり得ません。計算によれば直径20メートルの物体が上空300メートルに浮かんでいるということになります」とかなんとか。それからエリア51で極秘に行われた宇宙人の解剖映像。

 僕はこの手の特番が大好きだった。いつもワクワクしながら多分出鱈目であろうUFOの映像を眺めていた。
 ただ、いつも単純にワクワクとは行かなくて、宇宙人の話には多少恐ろしいくだりも含まれている。
 そう宇宙人による誘拐事件だ。
 夜寝ていると庭にUFOがやって来て、例ののっぺりした宇宙人グレータイプが数匹、寝ているあなたの元へやって来る。そしてUFOの中へ連れ去り謎の手術をして頭にチップを埋め込む。記憶はすっかり消されてしまうので、翌朝あなたは何事もなかったかのように起きて生活する。以来ときどき変な夢を見るのでカウンセリングを受け、退行催眠でその日の夜に戻されてはじめて宇宙人のことを思い出す。そうだ私はあんなに恐ろしい目にあったのだ!って。

 いくら子供だったとはいえ、僕は別にこの話を全面的に信じていたわけではない。だけど、それでもテレビを見た後、自分の部屋へ行き眠るのは怖かった。窓の外が明るくなってUFOが降りてきやしないかとビクビクしながら眠った。

 このとき、怖がるのと同時に一つ気になったことがある。
 翌日の朝、記憶をすっかり消されているのであれば、翌日の僕にとって「今夜起こるかもしれない宇宙人による誘拐」は起こっていないも同然だ。もちろん、今は誘拐以前なので僕にとって誘拐は起こっていない。じゃあ僕にとって誘拐はいつ起こるのだ?というのが気になってしかたなかった。

 誘拐が始まってから手術されて記憶が消されるまでの間、僕はそれを体験していることになる。当然そうだ。だけど記憶が消されるとその体験自体が消えてしまう。僕は今UFOが来ることを恐れているけれど、どうせ記憶が消されるなら明日の朝起きる時点では誘拐されていようがいまいが同じことじゃないだろうか(頭にチップが埋め込まれているという事実を別にして)。
 寝る前の僕に起こっておらず、起きた後すっかり忘れているのであれば、寝ている最中に実害のない何かが起きてもそれは起きたことにならないのではないか? だとしたら僕はこれから体験するかもしれない宇宙人とのコンタクトを体験するけれど体験しないのではないか。体験するということと記憶するということは実はほとんど同じことなのではないか。記憶されない体験を僕は体験と呼べるのだろうか?

 目の前にチョコレートが一欠片あるとして、このチョコレートには特別な仕掛けがしてあり、チョコレートを食べ終わった瞬間チョコレートを食べたという記憶は消える。そしてこのチョコレートは世界一おいしい。
 こういった状況で僕たちがチョコレートに手を伸ばすというのはどういうことだろうか? 僕たちはチョコレートを味わうことができるのだろうか?口に入れた瞬間に至福の甘さを味わうけれど、飲み込んだ瞬間に味も記憶も全部消えるとしたら、チョコレートを食べる前の僕たちにとってチョコレート体験はこれから起こることだと本当に言えるのだろうか?

 僕は今この瞬間を体験している。
 厳密に言えばこの「瞬間」というのは僕たちの頭脳が作り出した錯覚だ。
 光は随分と速いけれど、それでも伝達に時間は掛かっている。今見えているものは全て僅かな過去だ。それも遠くの物ほど遠い過去だ。目の前50センチにあるパソコンの画面から僕の目に光が届くには0.0000000016秒掛かっていて、窓の外50メートルに見えるあの屋根から目までは0.00000016秒掛かる。太陽から地球まで光が届くには8分以上時間が掛かる。僕たちが見ている太陽は実に8分も過去の太陽なのだ。さらに神経を信号が伝わる時間と脳が情報処理を行う時間を考慮した分の過去を僕たちは見ている。全然「今」じゃない。
 音に至っては秒速340メートルなんて遅さだから、もっとひどい。

 さらに問題なのは五感から入ってきた信号のどれを基準に「今」を作り上げているかということだ。神経を信号が伝わるスピードは以外に遅くて、せいぜい秒速数十メートルです。各器官と脳までの距離、それぞれの神経が持つ伝達速度は違って、さらに脳内での処理にかかる時間も違う。そういった体の色々な部位から入ってきて信号を統合して「今」を作るとき、その今は、ちょっと前の視覚とさらにその前の聴覚、それからその後の味覚、更にそのあとの足の感覚、ちょっと前の手の感覚、といった時間のずれたものを統合して作られたことになる。ある意味では全く偽りの今だ。

 もっと考えなくてはならないのは、「今」という感覚を生むには「過去」「未来」といった感覚が同時に必要なのではないかということだ。記憶障害で3分しか物事を覚えていることができない、というような人がいるけれど、それがもっともっとひどくて0.000001秒前のことも覚えていないという人がいるとしたら、その人は果たして「今」を体験することができるのだろうか。過去を失うということは今を失うということにもなるのではないだろうか。

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