太平洋戦争という名前。

 夏の炎天下研究室へ向かって自転車に乗っていると、明るい道路の先に2人のお爺さんが並んで歩いていた。2人の姿が似ていた所為かも知れない、彼らは2人ともベージュの帽子をかぶりポロシャツを着ていて、僕は太陽の下歩く彼らのことを戦友なのではないかと思った。

 老人を敬いましょうということを言われると、僕は違和感を感じて、その理由の一部に戦争というものあることを否めない。彼らは戦場で命を懸けて戦った。僕はそこに畏怖の念すら覚える。

 夏になると毎年戦争を思い出すと書いているように思う。一昨年の夏、みんなで和歌山県友ヶ島へ行って日本軍の基地跡を見たけれど、夏の自然と海と基地の跡はとても調和が取れているように見えた。

 戦争の跡、には僕達がまだ消化していない何かがある。
 それは過去から学ぼうとか戦って散った人々のことを思おうとか、そういった次元とはまた別のものかもしれない。戦争の跡を見たときの自分の気持ちがまだ良く分からない。

 友達が野口健さんの考え方を学びたいと書いていたので、野口健さんのブログ(http://blog.livedoor.jp/fuji8776/?blog_id=1477032)を読んでみたらとても面白かった。
 中に遺骨収集のプロジェクト動画があって、この記事を書くきっかけになりました。