30.

 2009年2月3日火曜日。

 夜10時からTと吉田神社の節分祭に出かける。1日降り続いた雨も僕達が神社に着く頃には上がっていて、雨上がりのすっとした空気の中、屋台の合間を歩き、階段を登り境内へ入る。境内には5メートルくらいの高さに堆く燃やすための供物が積まれていて、初めて見るには圧巻。
 抽選くじ付きの福豆を買う(トヨタヴィッツ」を当てる気満々だったけれど何も当たらなかった)。お酒を片手に出店の前を歩き、適当に神さまに手を合わせ、普段はほとんど人気のない境内が人で一杯なことに新鮮な気分を覚える。途中でMさん一向にすれ違う。

 11時になると詰まれた供物に日が点けられる。僕達はそれを見るために11時前にメインの境内に戻る。既に人が沢山供物の山を取り巻いていて、3列目くらいに陣取る。しばらくすると神主が祝詞を上げたり巫女が供物の周囲を一周あるいたりして神事がいよいよはじまる。5メートルの高さに詰まれた物を重要文化財の境内で燃やすというのは思い切ったことだというようなことをTが言っていたけれど全くその通りで、神事だと言えばなんでもありだなとぼんやり思う。僕達日本人のもっともファニーな部分は神道の中に封じ込めてあるのかもしれない。あるいはもっと古く遡り、中沢新一の言うようなシャグジの中に。

 こんなに大きく燃える日を見たのは生まれて初めてだった。顔が放射熱で熱い。でも熱い空気はすっかり上へ登っていくようで、熱くなった空気も煙も煤も僕達観衆のところへは来なかった。それらは真っ直ぐと空へ上がっていき、境内のなかでは小学校のロウソクの実験みたいにきれいな燃焼が起こっていた。
 時折消防士が放水して火の勢いをコントロールする。供物の山が四方を金属の柱で支えた金属ネットの蓋を被っていることもあって、炎は勢い良く燃えるものの結界に閉じ込められた何かみたいだった。僕達は火をコントロールする。それは文字通りテクノロジーのことであり、象徴的に神道のことだ。巨大な炎を制御するとき僕達は単に興奮するのではなく本当のところ神性に到達する。産業革命以後の内燃機関に支えられた社会は、本当は荒れ狂う炎をコントロールするという神に向かい合うような行為だったのだと思う。

 火を眺めているとAから携帯にメールが来た。吉田神社に来てるけれど、階段の近くで火を見てるけれど、いる?という内容でだったので、火に飽きてきた帰り道Aを探す。Aとその友達に挨拶をしたあと、TとAと三人で神社を後にする。12時を過ぎて誕生日になったので二人がおめでとうと言ってくれた。

 一人になってからタクシーを拾おうと今出川を歩いているとPに会う。僕は彼女に報告することがあったのでそれを言うとやっぱり驚かれる。しばらくお互いの近況を交換したあと、僕はタクシーに乗って北山へ。


 2009年2月4日水曜日

 誕生日なので(30になりました)研究室には行かないでYちゃんと神戸へ行く。といっても恥ずかしいけれど目的はイケアで、実は一度も行ったことがなかったので一度は見ておこうと目指した。元町でランチを食べた後に三宮からシャトルバスでポートアイランドのイケアへ。一度だけイケアに行ったことがあって「もう二度と行くつもりはなかった」というYはシャトルバスに乗っている間「まるでアウシュビッツへ送られるユダヤ人みたいな気分だ」と言っていて、実際に僕もそういう気分だった。それでも僕はこのお店の演出が嫌いというわけではないので、バスに乗っている間は軽薄な演出を楽しんでいた。
 でもお店へ入った瞬間になんとなく嫌な気分になり、そしてショールームに足を踏み入れて商品を一つ見た瞬間に帰りたくなった。もう少しまともかと思っていたのに、商品が全然良くなかったからだ。値段を3倍にしてクオリティーも3倍にした方がいいんじゃないかと思った。お店の空気も悪いし、陳列の仕方は普段僕達が目を瞑ることにしている大量生産大量消費のダークサイドをまざまざと見せ付けるし、動線も指定されているし、何一ついい点がなかった。象徴的だったのはある客がいくつか買うつもりでカートにいれていたクッションをやっぱりやめにして元の場所に戻すとき結構遠くから投げて戻していてことだった。そういう場所だった。

 小物は兎に角として家具の質が低いのには本当にびっくりした。昔建築の先輩が「形も機能も重要かもしれないけれど、俺は建築においては質感が一番大事だと思う」と言っていたのを思い出す。僕は当時彼の意見が理解できなくて、それから彼が何を言っていたのか理解するのに2年くらいかかったのだけど、家具だって同じことだ。質感が駄目なのであとは形を工夫しただかなんだか知らないけれど全部が駄目だった。神は細部に宿るって本当だよなと納得しながら出口目指して足早に店内を抜ける。

 シャトルバスで三宮に戻り、それから街をうろうろしていて気が付いたのは、街では僕のほしいものなんてほとんど何も売られていないということだった。欲しいものなんて本くらいしかない。服は嫌いじゃないから欲しいなと思うけれど気に入るものが売っていることは滅多にない。たとえば京都では2軒しか服を買いに行くお店がない。買い物をしないなら街にはほとんど用がないということになる。年をとってきたせいか、それとも偏屈になったせいなのかは良く分からない。

 以下に吉田神社節分祭の動画をいくつか。編集していないので見難いです。
 時系列は下から上へという風になっています。炎だけさっと見たい方は一番上のものだけも。尚レンズの収差で実際よりも小さく見えています。