あの辺りにあるわずかな隙間。

 まがりなりにも物理学というものをやっていて思うのだけど、僕達がすっきりと理解できる、あるいはすっきりと記述できることというのはあまりに少ない。ほとんどのことは近似的にしか知ることができないし、これは極端かもしれないけれど、いかに良い近似方法を考えるかというのは物理学の大部分を占めるようにすら思う。

 もう人類がかれこれ300年近くお世話になっているニュートン力学は、アポロを月へ飛ばしたし、火星にも探査機を送ったし、日常レベルの様々な計算にも現役で使われている。相対論、量子論を擁する現代物理においても地位は揺るがないし、こんなに長い間役立っているなんてものすごい理論です。人類はニュートン力学を使いまくっています。

 ところが、このニュートン力学にしても厳密に扱えるのは物体2個までです。
 3個以上の物があるともう厳密には計算できません。
 びっくりですね、天下のニュートン力学が2個までとは。ハレー彗星がいつ来るかとか、太陽系の惑星運行とか、そういうのを確かにニュートン力学で計算していますが、ここには近似が入っています。太陽と地球だけ、なら厳密に答えが分かります。でも、太陽と地球と、あと火星も、となるともう厳密には解けません。近似といってももちろん精度は高いので別に困らないわけですけれど、でもパシッと答えが分からないというところで人類の限界みたいなもどかしさを感じる。

 これは物理学に限った話ではありませんが、物事がどのように時間発展していくのかは、多くの場合微分方程式を用いて記述されます。代数を習いたての中学生が文章問題から方程式を起こすように、物理学者やエンジニアは現象や系から微分方程式を書き出します。
 ところが、ここでも驚くことに大抵の微分方程式は解けないのです。人類が知っている微分方程式の解法はかなり限定されていて、たまたま解ける形の式で現象を記述できればラッキーですが、そうは問屋が卸さない。だから、ここでも近似や、あるいはコンピュータで力ずく計算するという手段がとられる。

 はじめてこれらのことを意識したとき、ちょっと頭を殴られたようなショックがありました。それまで僕は「見落としのないよう丁寧に丁寧に細部を書き込んでいって方程式を立ててそれを解けば宇宙のことは分かる」のだと思っていました。でもそうではなかった。僕達は極めて限られたことしか厳密には計算できない。

 僕ののらりくらりとした生活を知る人は驚くかもしれないけれど、僕は昔それでも一応サイエンスというものを志していたし、実は大学に入ってすぐ行きたい研究室も決めていた。大学に入ってからというか、入る前から何をしたいのか大体は決めていたので、研究室配属になればここへ行こうという研究室はかなり早い段階で決めていた。教授に話もして、新入生の頃ゼミにも聴講という形で参加させて頂いていた。
 進路を変更したので、僕は結果的に違う研究室にいるのですが、その研究室ではロバスト制御の研究が行われていました。ロバストというのは、外乱に強い、みたいな意味合いで、少しくらいノイズがのっても上手く機能する制御系の研究です。人間をはじめとする生物の制御系はかなり外乱に強い。でも、ロボットとかってちょっとのノイズですぐにおかしなことになりますよね。ロボットにもしなやかで強い制御系を載せられないか、ひいては生物はどのようにしてロバストさを実現しているのか、ロバストな制御とはどういうことか、という研究です。

 その先生と食堂でご飯を食べていたとき、僕はちょうどカオス理論だとか複雑系の本を読み漁っていたので、「この世界が複雑系ならば完璧なモデリングというのは不可能なのではないか」というようなことを言って、それはもちろんそうだ、と言われた。だから我々は最適なモデルをなんとかしてたてるしかない。
 ある意味ではそれこそが人類の英知だとも言える。ぐちゃぐちゃなした世界から本質を見抜いてその点において議論すること。でも、それはこの世界の忠実な理解ではないような気もする。かといって、ぐちゃぐちゃしたもの全部を生のまま理解することは僕達の脳の理解能力を遥かに超えていることだろう。

 だからときどき僕達人類の頭脳というものがどれだけこの世界の本質に近づくことができるのか不安になるし、もどかしくも思います。