weblog5.0.

 実は去年の年末に「どうして僕はブログなんか書いているのか分からない」という意味のかなりネガティブな日記を書いていて、内容があまりにどろどろとしてきたので消しました。
 もう1年前くらいのデータだと思いますが、日本人は世界一の数のブログを持っているそうです。そのため日本語で書かれたブログの数が英語で書かれたブログよりも沢山あるみたいな記事をどこかで読んだ記憶があります(もしかしたら記憶違いかもしれませんけれど)。

 気になったので今検索してみると、2006年のいつかのデータでは、全ブログに占める言語別割合

 1、日本語 37%
 2、英語  36%
 3、中国語  8%
 4、イタリア語、スペイン語 共に3%

 となっていました。

 英語はほとんど世界共通語なので無視して、日本語の37%というのは異常です。

 ついでに2006年のネット人口を検索してみました。

 1、アメリカ 1億5200万人
 2、中国   1億2300万人     
 3、日本     5210万人

 日本は3位なのでかなり上位だと言えます。世界全体では推定約7億人のネット人口があって、そのうち日本の5210万人というのは約13パーセントです。13%の人口で37%のブログを占めているというのはやはり特異なことです。

 それで、今回改めてどうして日本人はこんなにブログをたくさん書いているのか、ということを考えてみました。
 僕としては背景に神道を置いてみると面白く解釈できるのではないかと思います。

 同じようなことは「日本語のブログ数世界1」みたいな記事を最初に見たときにも考えたのですが、特にこれという根拠も思い当たらなかった。今回は、僕がどうしてブログなんか書いているのか自分で分からないということを踏まえて、より深く踏み込むことができるのではないかと思います。

 多くの個人的なブログ記述者がそうであるように、僕は特別な目的を持ってブログというものを書いているわけではありません。特に何か伝えたいことがあるわけでもなく、楽しい生活を自慢したいわけでもなく、広告収入で稼ぎたいわけでもない。かといって、これは純粋な意味での日記というものでもない。日々の記録を綴っておきたいだけなら、僕は作文をインターネットに載せる必要はないし、ワードか何かで書いて静かに自分のパソコンに保存しておけばいい。

 もしも日記というものの本来の姿が「ありのままの、その日の出来事と感じたこと」を記述するというものだとしたら、日記を不特定多数の人間が読むネットに公開するというのは厳しすぎる束縛条件だ。少なくとも僕はありのままに事実や感情を書くことはできない。「ありのまま」が望まれるのであれば、それはノートかパソコンの中だけの、プライベートな空間に保存されるべきだ。

 でも、実状としては日記をつけている人のほとんどがそれをネット上に公開しているのではないだろうか。ネットに公開するという選択肢が与えられてから、多くの人はネットに公開するための日記を書くようになったと思う。僕はもう個人的に読むために個人的に書いて保存しておくような日記を書くことはなくなった。

 と、ここまで以前書いて面倒になったので放ってあったのですが、昨日ある人が、ブログというのは自己満足の究極の形だという意見もある、ということを言って、それで書きかけていたこの作文のことを思い出した。

 自己満足というのは何にでも適用して話を打ち切りにできる魔法の言葉なので本当は意味を持たない言葉なのだと思う。つまり思考停止のサインなのじゃないかと思うのです。あえて自己満足という言葉を用いるのであれば、「では何故それで個人的にな満足感を得ることができるのか?」ということが問われなければならない。
 さらに、人間という生き物の強烈な社会性を考えたとき、自分だけが個人的に満足する、という極めて限定的な状況が本来的に存在するとは考えにくい。自己満足というのは実際にはとても社会的な満足であるはずだと僕は思います。

 上の方で僕は神道の影響があるのではないかと書いていますが、どうして日本人のブログがこんなに多いのかということを考えたとき最初に浮かんだのは「これはキリスト教の懺悔に近いのではないか」ということでした。懺悔という行為が神への告白である、神の許しをこうものなのだとしたら、日本人がブログを書くという行為は、なんだか良く分からないけれど公表して、知らない誰かが構成する社会に自分をゆっくりと吸収させることに相当するのではないかと思ったのです。

 これは心理学的に言えば単に外面化に過ぎないのかもしれないけれど、だとすれば日本人だけがどうしてそんなにたくさん外面化をしたがるのか、という問いのことです。

 もちろん、西洋にキリスト教的なものを置いて、日本に神道的なものを置くのはあまりにも乱暴な考え方ですが、この辺りから話が展開されたりしないかな、と淡い希望を持たずにはいられません。

 ここのところあまり時間がないので、続きはまた今度、もしも何か浮かんだら書きます。