トライアングル。

 メールを書いていると外から自動車のクラクションが聞こえてきた。クラクションは何度も何度も鳴って、うるさいなあ、と思っていたのだけど、良く考えてみればそれはどこかで聞いたことのあるリズムで、モールス信号だった。もっとも簡単なモールス信号で送信できる言葉。SOS。
 多分、誰かがふざけているだけだろうな、と思ったけれど、流石に無視するわけにもいかないので、裸同然だった僕は慌てて服を着て外へ出てみた。だけど、僕が服を着ているうちにSOSは止み、そうして僕が表を見渡してもどこにも異常は見受けられなかった。ただのいたずらだとかモールス信号の練習だったらいいけれど。

 以前、イルカの話を書いて、結局は消してしまった、というようなことを書きましたが、僕がイルカの何を書こうとしたのかというと、それはイルカの死に方についてです。
 イルカに限らず、海に暮らす哺乳類は、溺れ死ぬ。いくら海での生活に適応していようとも、最期に体が弱ってくれば海面に出て息継ぎをすることができなくなって、変な表現だけど、死ぬ前に溺れて死んでしまうということだ。なんて苦しそうな最期だろう。
 僕は納得し、そして理不尽を感じた。
 つまり、そのイルカはもしも陸上で生活していれば死ぬ必要はなかったということだ。まだ、そんなに体が悪くはないのに死んでしまうということだ。
 昔、ゾウか何かの草食動物が、「歯を悪くしてしまい、十分にものが食べられなくなって死んでしまう」という話を聞いたときも同じような理不尽を感じた。単に歯が悪いだけで死んでしまうなんてありだろうかと思った。心臓とか脳とか肺とか肝臓とか、そういったところがやられてしまって、もうそれ以上生きながらえることができない、というのはまだ理解できるような気がするけれど、たかだか「歯」じゃないか、と僕は思った。

 もちろん、高々じゃ全然ない。そう感じてしまうのは歯医者のたくさんいる国で暮らしているからにすぎない。

 でも、参ったなあ。
 あのかわいらしいイルカが溺れて死んでしまうなんてあまり考えたくないし、僕にはそのイメージはちょっとショックが大きすぎる。

 秋にキャンプへ行ったとき、夜中に車の運転の話をしているとI君が「自動車というものは洗車やなんかを除いて、作られてから廃車になるまで何にも触れない、これは驚異だ」というようなことを言って、僕はなるほどなと思った。
 毎日毎日、たくさんの人々が車に乗り、町中を右往左往しているのに、基本的には何にもかすりもしないのだ(ぶつかった場合は事故ということで別の話です)。それは確かに奇妙なものに違いない。

 雨が降るとあいつらはやってくる。
 暗い用水路を飛び出し、ひと時の天下を謳歌して、それが終わるとも知らず、誘われるままに。
 生々しい夏の夜に、狂おしい夏の夜に、雨が降るとあいつらはやってくる。
 はちきれる。
 町中を右往左往しているのは子供を迎えに行く母親達の自動車だ。
 右往左往する間もなく、はちきれる。

 明くる朝、あなたは見るでしょう。
 その無残な宴のあとを。
 まったく、無謀とはこのことなのです。

 炎天下の水掻きを。干上がった水掻きを。

 ダイエットに成功した健康食品なんて。
 痩せるなら体に悪いということだと思うよ僕は。

「フランス風無国籍料理」
「えっ? できそこないフランス料理ですか」
「いえいえ、違いますよ」
「ええ、分かっていますよ。すみません。ちょっとした冗談なんです。フランス料理をベースとした創作料理ってことですよね」
「ええ。そうなんです。フランス料理をベースとして」
「あの、」
「はい、」
「それじゃあ、フランス風無国籍料理じゃなくて、フランス料理風無国籍料理なんじゃないですか」
「えっ?」
「フランス風じゃ意味がちょっと」
「なにがですか」
「じゃあ色がトリコロールなのか、とか、名前がマリーアントワネットなのかとか、犬の糞がたくさんおちていたのかとか、そういうものに似ているのか、ということで」
「そんなわけないじゃないですか」
「でも、たとえているものを省略してどうするのかと、僕は問いたいわけですよ。フランス料理風を略してフランス風にしていいのか、と。カモシカのような足じゃなくて、カモシカの足のような足だろう、と。カモシカみたいな4つ足動物に似た足ってどんなのですかね」

 広い世界に出たい。って。僕は君の意見が全く理解できない。じゃあここは広い世界の一部じゃないのか? この広い世界はどっかで切れているのか? 分断されているのか? それは君が広い世界じゃないところにいるせいじゃなくて、広い世界にいるのに広い世界が見えないだけのことじゃないの? そういうのを視野が狭いって言うんだよ日本語では。分かるジュディー? そういや高校のとき古典の授業で「しやせまし」を「視野が狭い」と訳した剛の者がいたけれどね。「しやせまし」っていうのは本当は「しようかな、やめておこうかな」って意味なんだけど。

 私、今日のパーティー、黄色のドレスにしましょうかしら、それともしましまのドレスにしましょうかしら。
 今日は中止だ、中止。バッテリーが切れたらしい。
 バッテリーって、一体なんの?

「ああ、ごめん。ちょっと私充電切れるから、もう切るね、またかけ直す」
「ちょっと、君、それは一体、どういう意味だね…」
 ツーツーツー。
「教授。聞きましたか今の?」
「ああ、聞いたよ」
「一体どういうことでしょうか? たしかに”私充電が切れる”と」
「うーん」
「文献によれば21世紀の初頭はまだアンドロイドなど出回ってないはずですが」
「さっきのは確かに21世紀か?」
「はい、間違いありません。この新型のタイムテレフォンは何度もテストして完璧だと思われます」
「それでは文献がおかしいのじゃろう。新発見じゃ。21世紀初頭にアンドロイドがいなかったという説は間違っておる。さっきの会話は録音してあるか。証拠に使おう」
「はい、教授。これは歴史を書き換える大発見ですね。今までの定説では23世紀初頭からアンドロイドが普及したとありましたが、21世紀の初頭にすでに電話に出る程度までアンドロイドが普及していたなんて」

 発電機がこなくて今日のパーティーは中止です。