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 先日、Hさんの部屋で鍋をした帰り道、I君とKと3人で御土居を見ました。
 御土居というのは秀吉が作った京都の中心部を取り囲む土手のようなもので、今調べたところによれば22.5キロもの長さがあったそうです。以前、I君が研究室の壁に貼っている江戸時代に書かれた京都の地図を眺めていて(それも憑かれたように一時間以上は見ていた)、何か京都を囲う謎の線が入っているので、「これは何か」と御土居の存在を知りました。
 3人で寒い中を自転車で走っていると、I君が「前にこの辺で御土居のようなものを見た」と言い、それにすぐさまKが反応して「御土居ならうちの近所にあるよ」というので見に行った訳です。御土居のことを知っていて普通に場所まで案内してくれるとは流石Kだと思った。

 実際のところ、御土居というのはちょっとしたものです。今は部分部分しか残っていなくて、もはや京都を取り囲むどころではないですが、でもこのような土手が京都を取り巻いていたのかと思うとなかなか吃驚します。登ると、だいたい家の2階くらいの高さはあります。
 僕は別に歴史が特に好きだとかそういうわけではありませんが、でも自分の今住んでいる街が、かつて全然違う姿をしていたのだという当たり前のことにいちいち吃驚します。

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 携帯電話にチェスのゲームソフトが付いていることを最近発見しました。もう何年も使っている古い携帯電話であるにも関わらず、今までそういった機能の存在を知らなかった。
 それで、ルールも分からないままに何ゲームかしていると、だんだんルールも覚え、ときどきは勝てるようになってきたので、なんだか嬉しくなってしまい、「よし、この際だからチェスを覚えよう」と遊んでいると、難度最大までクリアしてこのチェスのソフトでは全く相手にならなくなってしまいました。
 もう駒の動きも覚えたし、一応チェスの大まかなルールは覚えたので、目的はこの時点で達成されたのですが、なんだか物足りなくて僕はチェスのボードを買ってしまい、でも周囲にチェスをする人がほとんどいないので(チェスの本には世界中に普及しているゲームでどこででも対戦相手が見つかる、と書いてあったのだけど)、仕方がないのでインターネットで知らない人と対戦をしてみました。
 僕はこういうネットで繋がったどこの誰だかわからない人とチャットをしたりゲームをしたりする、というのが嫌いなので、いくらなんでもチェスをネットでやるのはやめておこうと思っていたのですが、ちょっと腕試しにやってみたわけです。
 もう2度としない。
 僕が仮想的な席につくなり、知らない人が向かいに座り、そしてゲームが始まり、僕がどうやって操作するのかとか、自分の番のときは合図が出るのかとか、駒の絵を覚えたり、そういった基礎的なことを一通りみたいと思う間もなく、あれよあれよとゲームは進み、結局僕は負けてしまったのですが、なんと、負けた瞬間にまたその謎の対戦相手の人が「再戦」ボタンを押したらしくて、僕のほうには「ゲームスタートのボタンをクリックしてください」という以外「やめる」などの選択肢は提示されず、しょうがないので僕はそこで勝手にログアウトしました。そんなインターネットで延々とチェスをするほどのチェス好きでもないし。
 これはとても気持ち悪い経験でした。もしも誰かとチェスをするのなら、「よろしくお願いします」とか言ってはじめるのが筋だと思うのですが、そういった挨拶はまったく抜きに、まるで相手がコンピュータのプログラムであるかのようにお互いに振舞ったのです。とても不愉快な気分になった。

 それで、僕は昔のアルバイト先で小学生の生徒に「今晩9時からここでチャットしてるから先生も来て」といってURLのメモを渡されたことを思い出した。いまどき小学生がインターネットをしているのは当たり前のことだけど、でもそのとき僕ははじめて彼女達がネットを使うのだということをリアルに知って吃驚した。実にしっくりこなかったのです。
「チャットなんてして楽しい?」
「うん。楽しい。こないだはなんか東京に住んでるツヨシって人と話した」
 僕なら、もしも自分に子供がいても、その子がパソコンを通じてどこの誰だかわからない人と互いに匿名のカバーを被ったままで会話をしているところを見たくもないし、そんなことさせたくもない。ときどき厳しい家庭でテレビ禁止のところがあるけれど、もしもインターネットというものが今と同じ程度に未来においても匿名的ならば、僕は自分の子供に対してインターネット禁止令を出すのではないかとすら思う。