南へ帰る鳥の声。
公園のベンチに座って、僕はあんぱんを齧り、それからオレンジジュースを飲んでいた。待ち合わせた時間まで手持ち無沙汰で、かといって何かをして時間を潰すという元気もなかったし、どこかの比較的きちんとしたお店に入って何かを食べるといった優雅さも持ち合わせていなかった。だからセブンイレブンに入ってあんぱんとオレンジジュースを買ったのだ。そうして公園へやって来た。僕はただくたびれたまま、時計が9時を回るのを待つ。
しばらくすると、僕の座っている隣のベンチにホームレスの人がやって来た。
「タバコ吸ってもいいか?」
「もちろん。ここは公園だし野外ですよ。いちいち僕に断ることないです」
僕はとても機嫌が悪かった。
「これは君のじゃないな。どこかのクズどもがおいていったやつだな」
彼はそう言うと、僕のベンチの端に放置されていた空き缶を灰皿にしてタバコを吸い始めた。
「君も練習か? そこで」
「えっ、なんですか?」
「そこのスタジオに練習しに来たんじゃないの?」
僕はこの日ギターを持っていて、さらにこの公園の近所にスタジオがあるらしく、彼は僕がそこに練習しにきたどこかのバンドの人間だと思ったようだった。でも僕はそんなスタジオの存在すら知らないし、練習は別の場所でして、今はただその帰り道に過ぎない。
「違います」
「そうか、違うのか。学生か?」
「はい」
「音楽の勉強をしてるのか?」
「違います」
「音楽じゃなくて何をしてるの?」
「物理学」
「そうか、物理というとあれか、たとえば...」
彼はインテリぶったホームレスの人だった。
どうして物理学者はもっと根本的なことを疑わないのかとか、哲学も勉強しなくちゃいけないとか、全然発展が止まっているように見えるとか、とても一般的な物理学に対する批判的な意見を述べて、僕が言うことに必ず反論してきた。
僕にもその傾向があるのでとても良く分かるのだけど、いちいち反論を組み立ててくるのは「この議論では相手よりも優位に立ちたい」という願望の表れだ。批判的な意見を言うことはとても簡単だし、相手が言った内容を自分が理解できなくても「それはそうだけど、でも」といった譲歩の接頭をつければ会話は延々と続けることが可能だし、自分のフィールドに引きずり込むこともできる。「いやいや、でもね」って言えば、まるで相手の意見を破壊するポジションにいるような錯覚を、存在していない第三者に、つまり自分自身に与えることができる。
もう一度言うけれど、僕はとても機嫌が悪かった。
僕はこんなこと馬鹿らしいなと思いながら、彼に捲し立てた。プロフェッショナルな科学者達がどれだけ思考を働かせているか、広い分野に興味を持っているか、そういうことを何も知らない人間が簡単に「科学者って専門馬鹿だ」みたいな意見をすることを僕はとても腹立たしく思う。
途中で猫が僕の前に座り、物欲しそうにしたので、あんぱんを千切って放ってやると、猫はいそいそとそれを持ち去った。
「結局、考えというのは言葉を元にして行うのに、物理とかやる人は言語学の勉強しないから、たとえば、ラッセルなんかが言ってるけれど...」
ラッセルくらい僕だって知ってるし、ついでにヴィトゲンシュタインの論理哲学論考だって読んでるし、物理学が「言語」で行き詰ることにはもう100年近く前にボーアだって他の物理学者だって気が付いているし、はっきりいって何も知らないのはあなたの方だ。
というようなことを言いそうになって、それも面倒だなと思って彼の話を聞き流していると、今度は若い男の人が僕のすぐ隣にやって来て肩を叩いた。
最初、その男の人が強面だったのと、あと僕になにやらぼそぼそ言うので、実はこのホームレスの人はヤクの売人か何かで僕はへんなところに腰を下ろしてしまったのではないかと思った。
でも、そうではなくて、彼こそが正真正銘、近所のスタジオに練習に来たバンドマンであり、僕とホームレスのやり取りを聞いていて僕に興味を持って話しかけてきただけだった。彼によればこのホームレスは有名で、楽器を持った人間にのみ話しかけてくるということだった。「たぶん昔、音楽関係でなんかあったんじゃないかな」と彼は言った。
バンドマンの人が来ると、「悪い悪い」と言って、ホームレスの人は少し離れたところに行ってタバコを吹かした。
僕はバンドマンの人としばらく話をして、それから待ち合わせの時間になったのでその場を立ち去った。ギターケースを背負うと、さっきあんぱんをやった猫が茂みの横から僕を眺めているのが見えた。
しばらくすると、僕の座っている隣のベンチにホームレスの人がやって来た。
「タバコ吸ってもいいか?」
「もちろん。ここは公園だし野外ですよ。いちいち僕に断ることないです」
僕はとても機嫌が悪かった。
「これは君のじゃないな。どこかのクズどもがおいていったやつだな」
彼はそう言うと、僕のベンチの端に放置されていた空き缶を灰皿にしてタバコを吸い始めた。
「君も練習か? そこで」
「えっ、なんですか?」
「そこのスタジオに練習しに来たんじゃないの?」
僕はこの日ギターを持っていて、さらにこの公園の近所にスタジオがあるらしく、彼は僕がそこに練習しにきたどこかのバンドの人間だと思ったようだった。でも僕はそんなスタジオの存在すら知らないし、練習は別の場所でして、今はただその帰り道に過ぎない。
「違います」
「そうか、違うのか。学生か?」
「はい」
「音楽の勉強をしてるのか?」
「違います」
「音楽じゃなくて何をしてるの?」
「物理学」
「そうか、物理というとあれか、たとえば...」
彼はインテリぶったホームレスの人だった。
どうして物理学者はもっと根本的なことを疑わないのかとか、哲学も勉強しなくちゃいけないとか、全然発展が止まっているように見えるとか、とても一般的な物理学に対する批判的な意見を述べて、僕が言うことに必ず反論してきた。
僕にもその傾向があるのでとても良く分かるのだけど、いちいち反論を組み立ててくるのは「この議論では相手よりも優位に立ちたい」という願望の表れだ。批判的な意見を言うことはとても簡単だし、相手が言った内容を自分が理解できなくても「それはそうだけど、でも」といった譲歩の接頭をつければ会話は延々と続けることが可能だし、自分のフィールドに引きずり込むこともできる。「いやいや、でもね」って言えば、まるで相手の意見を破壊するポジションにいるような錯覚を、存在していない第三者に、つまり自分自身に与えることができる。
もう一度言うけれど、僕はとても機嫌が悪かった。
僕はこんなこと馬鹿らしいなと思いながら、彼に捲し立てた。プロフェッショナルな科学者達がどれだけ思考を働かせているか、広い分野に興味を持っているか、そういうことを何も知らない人間が簡単に「科学者って専門馬鹿だ」みたいな意見をすることを僕はとても腹立たしく思う。
途中で猫が僕の前に座り、物欲しそうにしたので、あんぱんを千切って放ってやると、猫はいそいそとそれを持ち去った。
「結局、考えというのは言葉を元にして行うのに、物理とかやる人は言語学の勉強しないから、たとえば、ラッセルなんかが言ってるけれど...」
ラッセルくらい僕だって知ってるし、ついでにヴィトゲンシュタインの論理哲学論考だって読んでるし、物理学が「言語」で行き詰ることにはもう100年近く前にボーアだって他の物理学者だって気が付いているし、はっきりいって何も知らないのはあなたの方だ。
というようなことを言いそうになって、それも面倒だなと思って彼の話を聞き流していると、今度は若い男の人が僕のすぐ隣にやって来て肩を叩いた。
最初、その男の人が強面だったのと、あと僕になにやらぼそぼそ言うので、実はこのホームレスの人はヤクの売人か何かで僕はへんなところに腰を下ろしてしまったのではないかと思った。
でも、そうではなくて、彼こそが正真正銘、近所のスタジオに練習に来たバンドマンであり、僕とホームレスのやり取りを聞いていて僕に興味を持って話しかけてきただけだった。彼によればこのホームレスは有名で、楽器を持った人間にのみ話しかけてくるということだった。「たぶん昔、音楽関係でなんかあったんじゃないかな」と彼は言った。
バンドマンの人が来ると、「悪い悪い」と言って、ホームレスの人は少し離れたところに行ってタバコを吹かした。
僕はバンドマンの人としばらく話をして、それから待ち合わせの時間になったのでその場を立ち去った。ギターケースを背負うと、さっきあんぱんをやった猫が茂みの横から僕を眺めているのが見えた。