北京。
小林紀晴のアジアンジャパニーズをようやく買った。
アジアンジャパニーズが世に出たのは確か1995年、いまからもう11年も前のことだ。
そのころ僕は15歳で、小林紀晴という写真家のことも、それから写真のことも何も知らなかった。ただの高校受験を控えた中学生だった。写真のことどころか、この世界について僕はまだほとんど何も知らなかった。
アジアンジャパニーズという本を、いつ初めて見たのかは思い出すことができない。
でも、僕はこの本に強く惹かれた。惹かれた、というかこの本は一度見ただけで僕の記憶に焼きついた。一時期、僕は蔵前健一だとか、アジア旅行記ばかり読んでいたので、アジアンジャパニーズだって買ってよかった筈だ。でも、何故か買わなかった。
そういえば今日フライヤーを見付けたのですが、9月10日って滋賀県にゴア・ギル来るんですね。 一度は体験しておきたい気もする。
山水人
↑ここに情報があります。
小林紀晴の本で最初に買ったのは「東京装置」という本だ。
何について書かれていたのか、僕はもう思い出すことができない。
でも、その表紙の写真と、「東京装置」という完璧なタイトルと、それから彼の文体は忘れることができない。
僕が持つ「小林紀晴」という情報はほとんどこの「東京装置」だけだった。それで、僕はすっかり彼のことを気に入った。
それでも、やはりアジアンジャパニーズは買わなかった。図書館で見掛けても借りなかった。こういうのは自分の感覚に従った方がいい。読む時期ではなかったのだ。何かを僕は待つ必要があった。
そして、今日僕はアジアンジャパニーズを読み出した。
当時23歳の小林紀晴は比較的自由に英語を操った。
彼は3年半勤めた新聞社を辞めたばかりだった。入ってその年に既に嫌になった新聞社。
英語を話すということ。
先日読んだ「日本人の英語」という本に(これは昔友達が日記で紹介していたもので、ずっと興味があった)、
「冠詞が名詞についているのではなくて、冠詞に名詞が付いているのだ」
と書いてあった。
たとえば a dog なら dogにaが付いているのではなく、aにdogが付いている。
これは目から鱗が落ちるような指摘で、でも、考えてみればとても当たり前なことだ。
ネイティブの頭の中では時系列として先にaが出ているのだからaを先に考えているに違いない。
会社の命令で遠くに住むことになって、そして離れ離れになってしまった恋人達のことを思う。
世界のどこへでも1時間で行ければと僕は思う。
アジアの片隅で、知らない人間に囲まれて死んでいく人間のことを思う。
夕暮れ時に彼は静かに語り出した。
「オーストラリアの大学から来てたオファー、あれ断ったよ」
それから、君と一緒にいたいんだとかなんとか。
今はもう年老いた彼に、その昔起こったこと。
僕は祈る。
高く飛ぶカモメとサーファーガールに。
アジアンジャパニーズが世に出たのは確か1995年、いまからもう11年も前のことだ。
そのころ僕は15歳で、小林紀晴という写真家のことも、それから写真のことも何も知らなかった。ただの高校受験を控えた中学生だった。写真のことどころか、この世界について僕はまだほとんど何も知らなかった。
アジアンジャパニーズという本を、いつ初めて見たのかは思い出すことができない。
でも、僕はこの本に強く惹かれた。惹かれた、というかこの本は一度見ただけで僕の記憶に焼きついた。一時期、僕は蔵前健一だとか、アジア旅行記ばかり読んでいたので、アジアンジャパニーズだって買ってよかった筈だ。でも、何故か買わなかった。
そういえば今日フライヤーを見付けたのですが、9月10日って滋賀県にゴア・ギル来るんですね。 一度は体験しておきたい気もする。
山水人
↑ここに情報があります。
小林紀晴の本で最初に買ったのは「東京装置」という本だ。
何について書かれていたのか、僕はもう思い出すことができない。
でも、その表紙の写真と、「東京装置」という完璧なタイトルと、それから彼の文体は忘れることができない。
僕が持つ「小林紀晴」という情報はほとんどこの「東京装置」だけだった。それで、僕はすっかり彼のことを気に入った。
それでも、やはりアジアンジャパニーズは買わなかった。図書館で見掛けても借りなかった。こういうのは自分の感覚に従った方がいい。読む時期ではなかったのだ。何かを僕は待つ必要があった。
そして、今日僕はアジアンジャパニーズを読み出した。
当時23歳の小林紀晴は比較的自由に英語を操った。
彼は3年半勤めた新聞社を辞めたばかりだった。入ってその年に既に嫌になった新聞社。
英語を話すということ。
先日読んだ「日本人の英語」という本に(これは昔友達が日記で紹介していたもので、ずっと興味があった)、
「冠詞が名詞についているのではなくて、冠詞に名詞が付いているのだ」
と書いてあった。
たとえば a dog なら dogにaが付いているのではなく、aにdogが付いている。
これは目から鱗が落ちるような指摘で、でも、考えてみればとても当たり前なことだ。
ネイティブの頭の中では時系列として先にaが出ているのだからaを先に考えているに違いない。
会社の命令で遠くに住むことになって、そして離れ離れになってしまった恋人達のことを思う。
世界のどこへでも1時間で行ければと僕は思う。
アジアの片隅で、知らない人間に囲まれて死んでいく人間のことを思う。
夕暮れ時に彼は静かに語り出した。
「オーストラリアの大学から来てたオファー、あれ断ったよ」
それから、君と一緒にいたいんだとかなんとか。
今はもう年老いた彼に、その昔起こったこと。
僕は祈る。
高く飛ぶカモメとサーファーガールに。