西海岸旅行記2014夏(17):6月9日:ポートランド、都市計画と窮屈さと雑踏


 ジャイロを食べ終え、オレンジジュースを飲んで一息ついた僕達はポートランド美術館へ行くことにした。このままサウスウエスト・パーク・アベニューを南へ歩いて行けばいい。名前の通り、サウスウエスト・パーク・アベニューは公園に沿って走っている。ポートランドの街はブロックが小さくて、それが碁盤の目に敷き詰められているので大きな公園を作るのは難しい。街中にある公園はだいたいワンブロックの大きさだ。このサウスウエスト・パーク・アベニューの公園は、南北何ブロックかを繋いで公園にしてある。ブロックの切れ目には車道があるけれど、見かけ上縦長の広い公園が形成されている。

 連続した広い空間が取れないというのは、実に息苦しい。ポートランドの1ブロックは200フィートx200フィート。つまり60メートルx60メートルしかない。連続で取れる広さが最大たったの60メートル四方というのは、かなりの制限だ。パイオニア・コートハウス・スクウェアへ行った時も、どこへ行った時も「なんか思ってたより小さいな」と思ってばかりいたけれど、60メートルしか取れないんじゃ当然だ。
 ブロックが小さいこと自体は悪いことではないと思う。けれど、それらがあまりにも整然と並んでいると非常に窮屈な感じがする。この街では僕達は60メートル以上(厳密には対角で85メートル以上)、まっすぐ連続に歩くことが絶対にできない。そこには必ず道路があって行く手を阻んでいる。檻の中の動物みたいだ。

 1961年にアメリカの都市学者ジェーン・ジェイコブスが面白い論文を書いている。彼女はアメリカのいくつかの都市を調査して、魅力的な都市のエッセンスを4つリストアップした。

 1:道が狭くて曲がっていて、各ブロックが小さい。
 2:新旧の建物が混在する。
 3:各区域が複数の機能を持つ。
 4:人口密度が高い。

 こんなことを本当は言いたくないけれど、この4つは腑に落ちる。
 この旅行記の中でも何度か書いているように、僕は基本的にハイテクでスキっと合理的なものが好きだ。このリストにある4つの要素はひっくるめてザクっと表現すれば「ごちゃごちゃしている」ということになるわけだけど、僕はごちゃごちゃしたものが好きではない。このリストのことなんて全然気に入りたくない。しかし、このリストは腑に落ちる。

 少し、話をアメリカから僕の住んでいる街、京都に戻そう。
 家から歩いて行ける距離に「河井寛次郎記念館」という建物がある。河井寛次郎記念館は、河井寛次郎が住んでいた家で、設計も自身で行ったようだ。焼き物制作の為に大きな窯もロクロもある。
 河井寛次郎は、柳宗悦らと日本の民芸運動を盛り立てた一人で、彼の作品もやっぱり民芸っぽい雰囲気を持っている。僕は民芸がかなり嫌いなので、河井寛次郎という人についてはほとんど興味を持っていない。彼の作品も好きではない。

 僕はそういう民芸的なものや、人間の「手作り」という感じが嫌いで、寸法がビシッと出てる幾何学的要素満載の工業製品が好きだ。一番嫌いな食器は手びねりの焼き物で釉薬が垂れているようなやつで、一番好きな食器はチタンのシェラカップ。
  ところが、彼の作品になんというか生命のようなものが、ある質感を伴ったエネルギーがあることを感じ取ってしまう。
 それはまだいいとして、問題なのは家の方だ。
 家に関しても、僕は「手びねりよりシェラカップ」と同じような趣味趣向を持っていて、当然「古民家よりモダン」となる。曲がった古材が上手に組み合わさった昔の人の知恵満載の家よりも、ガラスと鉄筋とコンクリートでできた「ええすみませんねどうせ現代人の浅知恵、現代科学の奢りですよ」な家が好きだ。SFばりのスマートハウス大歓迎というところ。

 それなのに、僕はこの河井寛次郎の家がとても好きで何度も足を運んでいる。
 水平連続窓のようなモダン要素がなくもないけれど、基本的にこの家は日本の古民家的なもの。木造だし畳だし、窯なんてやけにモコモコした形をしている。
 僕の頭は「こんな家嫌いだ」と言いたがる。
 でも、体がそれを許さない。ここへ来ると体のモードが変わって何かが開かれる感じがする。そしてそれはとても心地良い。

 このような頭脳と身体の「好みの乖離」にはもう何年も悩まされているのだけど、ジェイコブスの挙げた4つの魅力的な都市のエレメントについても同様の悩ましさを持たずにはいられない。
 僕がジェイコブスの意見に賛成なのは明らかだった。今回、アメリカのいくつかの都市を訪れて感じたのは「僕はアジア人でアジアの雑踏が好きなのだ」という、「異文化圏で自己再発見」的な、「旅の教科書の基本」的なありきたりなことだった。僕はコルビジェの「輝く都市」みたいに機能的な都市計画が好きなはずなのに、そういう都市へ行くと寂しくて息苦しくなる。それはポートランドだけではなく、他の街でも、たとえば日本の筑波研究学園都市なんかででも感じたことだった。好きなはずの場所ではなんだか息がつまり、好きじゃないはずの場所が心地良いなら、一体どこへ行けば良いのだろう。

社会的共通資本 (岩波新書)
宇沢 弘文
岩波書店
広告を非表示にする