限りなく装われた無知

 年が明けた。2011年が終わり、2012年が始まった。それでも全く新年を迎えた気持ちにならないのは、僕のごくごく個人的な理由故なのか、30日に餅つきをして雑煮を食べてしまったせいなのか。あるいは、2011年が特別に破壊的な1年だった所為だろうか。
 日本のこと、世界のことは語れないとしても、少なくとも僕にとって2011年は圧倒的に破壊的な1年だった。未熟でも偏向していても、それなりに作り上げてきた自分なりの世界観や人生の指針というものが木っ端微塵になった。それらは砕かれて然るべきものだったのだろうとは思う。それらは単なる誤解であり色眼鏡であり、自ら築き上げてしまった牢獄でもあるからだ。しかし、自分がその上に立っているのだと思い込んでいた地面が崩れ去ってしまうというのは、到底穏やかな体験ではない。僕は混乱して居着いてしまい、支える物の何もなくなった下方向に向かって落下した。と、落下しているつもりだったが、実は地面を構成している星というものがないのであれば重力も存在せず、落下という現象すら起こらないのだ。僕は、たぶん僕だけではなく僕達は、そうしてただ何の勾配もない、悲しみや怒り、欺瞞に溢れた場所に放り出された。

 限りなく装われた無知。

 先月16日に野田政権は福島第一原発の事故収束宣言を出し、疑問というか罵倒の声がほうぼうで上がった。事故収束宣言はあまりにも馬鹿げていたので、それらは当然の反応だし、最初はどうしてここまで見え透いた嘘を付くのだろうかと不思議だった。政府というのは一体どこまで人々をバカにしているのだろうと思った。でも、なんだかんだ言って、我々はその収束宣言を本当の意味合いでは受け入れたのだ。文句を言おうがどうあろうが、福島周辺に住まない日本国民の心の奥では肩の荷が下りたのではないだろうか。3月11日から9ヶ月間背負い続けた重荷から、軛から解かれたいという潜在的な欲求を、収束宣言はドライブした。もういいんだって、政府が言ってるんだから、嘘でもなんでもいいんだって、嘘だったとしても悪いのは政府じゃなくて私じゃないんだから、いいんだって、もう忘れていいんだって、年明けから何辛気くさいこと言ってんの初詣行ってバーゲン行こうよ、忘れても誰も責める人いないし、だって政府が嘘言ってるんだったら悪いの政府だし私じゃないし、私は日本国民として日本政府を信用したまでなんだから、うん、これも自覚して言ってるわけじゃないの、だって政府が嘘言ってるって私分からないもん。
 この世界に、困っている人がただの一人でもいるなんて、全然、知りませんでした。
 トカトントン

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