life.

 僕は1979年2月4日に生まれました。つまり1979年2月4日が誕生日だということになります。ところが、これも昨日の夜中のぼんやりしている時に見た白昼夢のようなものなのですが、1979年2月4日は僕の誕生日であると同時に命日でもあるというビジョンが見えて、怖くなってはっと目が覚めました。
 輪廻転生、というのが本当にあるのかどうか僕は知らない。科学的に考えてなさそうだと思うけれど、このへんてこな宇宙では何が起こっているのか知れたものではないから、もしかしたらそういうこともあるかもしれないなとは思う。
 でもまあ、それが本当にあるとしても、僕は生まれる前から母親のお腹の中で生きていたわけで、誕生日に死んだ僕の前世である僕(ややこしい話ですね)が生まれた瞬間の僕に宿るというのは考え難い。でも、基本的にわけの分からない宇宙なので実は胎児には意識も何もなくて生まれたときに本当の意味での生命体になる、ということだってなくはないのかもしれない。論理的に考えるとないだろうけれど、宇宙が論理的にできているかどうか誰も知らない。それに僕達の知っているこの宇宙に関するロジックというのはまだとても浅い。

 とまあ大風呂敷を広げたところで、日々のせせこましい解釈に戻ると、僕がそういった白昼夢なり夢なりを見たのは、先日あった発生生物学者竹市雅俊さんの公演の所為に違いない。
 この公演のことは恥ずかしいから書かないでおこうと思ったのですが、実は僕はとても強くインスパイアされました。
 竹市さんは一通り発生の話をされた後、最後に「我々は大昔から、先祖代々繋がっていると、なんとなくは思っているけれど、実際のところそれは生殖細胞を次の世代に渡すという形で物理的実態を伴って、モノとしてちゃんと繋がっているのです」と括られた。
 前回の記事に書いたように、情報というのは物理的実態を必ず伴うので、先祖から子孫に情報が伝わるというのはそこに物理的な伝達があることを意味している。もちろんそんなことはずっと分かっているつもりだった。でも改めて目の前で長い間生命現象の研究をされてきた科学者に言われると、違ったレベルでその意味を感じないではいられなかった。

 ここ1週間で、僕の生命に対する見方は劇的に変化している気がします。もちろん竹市さんの話がトリガーだろう。2,3個前の記事にけっこう詳しく鳥を拾った話を書いたけれど、そこに僕はこう書いたようです。

『 じっと見ていては親鳥の妨げになるかもしれないので、僕は机に座った。だけど鳥のことが気になって仕方ない。親鳥の声は覚えているので、遠くにでもその声がしないか耳を澄ませる。すると驚くほどたくさんの鳥や虫が鳴いていることに今更気付く。この声全てが何かの意味を持った言葉なのだ。僕には分からないけれど、でもそれは言葉だった。世界は意味に満ちていた。』

『イカル達は2本の木に別れて止まり、そして親はとてもきれいな声で、兄弟達は「ギャ、ギャ」と鳴いた。僕の鳥もギャ、ギャと鳴き、そして2、3分くらい何事か鳴き交わした後、鳥は窓を飛び出してやっぱり半分落ちるみたいに親鳥の木に飛んでいった。幹の中ほどに着くと、親がすぐに降りてきてそして何かをしゃべったり突付きあったりした。鳥って適当に鳴いているんじゃなくて本当に何か会話してるんだなと思う。ちゃんとお互いを認識していて絆があるのだなと思う。』

 本当にこんなこと今更な話で、鳥や昆虫が音で会話をすることは誰だって知っている。でも、僕はどうやら「通信が行われている」ということに主眼を置いていて、通信を行っている実体が意志をもった生命体であり何かを訴えていることをそんなに強く意識していなかった。ちょうど街に溢れんばかり歩いている人々を眺めていて、「そうかみんなが自分と同じようにそれぞれの主観と人生を持っているんだ」と思うと頭がクラクラしてくるように、鳥や虫の声がたくさんしていると頭がクラクラするようになった。生き物はみんな何を考えているのだろう。

 「これは科学の話ではないけれど」と断ってから、竹市さんは「やっぱり細胞が代々続いている以上、ここに生命誕生時からの記憶がずっと蓄積されて伝わっているってことがあってもいいんじゃないかなと思います」とおっしゃった。
 僕もそう思う。そして、実は一つの受精卵が60兆個の細胞に分裂して僕らの体を作っているように、もともとはある一つの細胞から世界中のありとあらゆる生き物は分化したのかもしれない。あの生き物とこの生き物の違いなんて、手の細胞と腸の細胞程度の違いでしかないのかもしれない。