goa.

 戻ってから1週間ほどはなんともなかった。相変わらず特に音楽を聴きたいという欲求もなくて、ほとんど音楽を聴く事のない日々が相変わらず続いていた。実に静かなものだ、僕は部屋の掃除すら音楽なしに行った。
 ところが、先日ふと久しぶりに音楽を聞いてみようと思い、僕はたまたま目に付いた、もう10年も前にコンパイルされたサイケデリックトランスのCDをプレーヤーに入れて、アンプとミキサーとイコライザーのスイッチを入れた。

 つまるところはそういうことだったのだ。
 とても久しぶりに聞くその音は奇妙なくせに何故かとても心地よかった。
 僕は多分ゴアとかサイケデリックとか、そういった音楽を聴きたかったのに自分で気が付いていなかったのだろう。
 当然、これは山水人のせいに違いない。

 今年は山水人でそんなに踊りまわるというようなことはなくて、僕達はテントを張って川で暢気に喋ったりして、ときどきステージを覗くというような感じだった。だけど、確実に影響は受けて戻ってきたのだなと思う。

 古いトランスをかけてから、しばらくして僕はあることに気が付いた。ここ数ヶ月僕のアパートの近くでは新しいアパートを作る工事が行われていて、その音が煩いし、おまけにここ数日は近所で草刈が行われていてエンジン音が煩い。でも、トランスをかけると、それらの音楽がなんとなく音楽の一部のように聞こえ始めた。他の音楽ではこうはいかない、自分の聞きたい音楽が持っている音以外の音は排除されてしかるべきだ。トランスというのはそういった意味合いで、他の音に対して寛容な音楽なのかもしれない。

 そういえば、2005年の山水人で24時間ゴア・ギルがDJをして、一晩中トランスを聞きながら過ごした僕達は、帰りの車中で、車のタイヤだとかエンジン、風切り音が全部トランスに聞こえるね、頭おかしくなったのかな、という話をしながら帰ってきた。ちょうどそういう風に、今回も僕は騒音を音楽の一部だと感じた。

 どこか、きれいで広くて誰もいないところで、大きな音を出したいなと少し思う。