リバー。

2007年5月11日金曜日

 2限、英語のTA。
 3限、演劇の講義。S先生にヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース演劇版と映画版を見せてもらう。

 午後は研究室。プログラムのミスを発見してようやくまともな計算結果が出ると期待しながらコンパイルしたのに、結果は物理的におかしなものが出て嫌になる。

 夜は思い立ってTとメトロ。変なDJ。
 最近、「もうクラブって飽き飽きだ」と思っている自分が本当にそう思っているのかどうか良く信じられなくて、確かめる意味合いでも出掛けるのですが、もしかしたら僕が飽きたとかそういう個人的なことでもなくて、大袈裟な言い方をするとナイトクラブというもの自体が終わりつつあるのではないか、という風に感じるときがある。

 なぜかと言うと、基本的にシンプルにクラブへ行って音楽を聴いて踊ったりお酒を飲んで人と話をしたり、ということをしたい人は実はほとんどいないのではないか、と思うことが多いからです。
 たとえばこの金曜日はフロアよりもチルスペース(一応の)に人工が集中していたのですが、それはDJがひどいという理由だけによりものではないと思ったからです。ナイトクラブというのは、単に夜みんなで集まってしゃべることのエクスキューズに成り下がったのではないかと思う。もとからそうだった、というのは勿論分かるのだけど、そういうものを前面には出さないで、なんとか「文化的」なものを持とうという姿勢が一昔前にはあったのではないかと思うのです。

 ディスコが死んで、ナイトクラブというより手軽なものが生まれ、いくらかの時間が流れ、今度はナイトクラブが死を迎えようとしているのかもしれないな、とときどき感じます。
 何年か前に「カフェブーム」というものがあって、それ自体はもう消えたように見えるけれど、ロハスだとかなんとか、確実に世界は「遅くなりたい」ベクトルを獲得した。これは特に女性向けの雑誌に顕著だ。70、80、90年代のウーマンリブは女性のビジョンとして中心的な役割を終え、今はその揺り戻しがきているように見える。60年、70年にヒッピーをしていたような人々が社会の最上部を占める時代にも突入した。
 そんななかで、「無気力」と形容される現在の僕達が、夜中に出掛けていってくたくたになるまで踊って、朝によれよれの体を引きずって帰る、というのはなんとなくそぐわないような気もします。どちらかというと、昼間にワインの小瓶とサンドイッチでももってピクニックに出掛けよう、というような傾向が強くなりつつあるのではないかと思う。

 早く帰るつもりが、話をして最後まで居て、帰りにTのところでマクガイバーのビデオを借りて帰る。結局眠ったのは8時になってからだった。


2007年5月12日土曜日

 東京からやってきたAを迎えに夕方京都駅へ、夜は昔Aが一緒にDJやVJをしていたGさんの結婚パーティーがあるので、それまで北白川あたりでぶらぶらして、そのままパーティーに行くつもりが僕はとても眠かったので帰ってしまった。この日はgreen e booksのパーティーにも誘われていたけれど、一旦家に帰ると図らずも眠ってしまって、気がついたらもう夜中だった。


2007年5月13日日曜日

 午前中から昔のバイト先の人々と松尾でバーベキュー、それから野球だとかポートボールだとかをして、日に曝されてひりひりする皮膚と、汗でべとべとになったTシャツのまま、夕方Nの家へ遊びに行く。くたくた。