犬とサッカー。

 梅田の街は休暇を楽しもうとする人々で溢れ返っていた。僕は先日見たロスト・イン・トランスレーションの影響で、自分が全くの異邦人であり見知らぬ国の見知らぬ街を歩いているような錯覚に陥った。なんなんだろうこの人々は。この広告は。この文字は。
 もちろん、僕自身だって「この人々」に含まれているわけです。

 この間、せっかく誘って貰ったのに行けなかった「セックスピストルズ展」のことを思い出してヘップファイブまで足を運んだ。
 もうパンクロックなんて卒業したと思っていたし、この企画展にも無料じゃなければ入らなかった。でも僕はそこに飾られた写真のいくらかからあの時代にイギリスにあった空気を感じとり、そしてなによりも1977年にシド・ビシャスが新聞か何かの隅に書いたサインを見て意外にも感動してしまった。

 言っておくと、僕は別にピストルズのファンではない。
 高校生の頃には良く聞いたけれど、今はもう聞かない。クラッシュはまだ時々聞くけれど、ピストルズは全然聞かない。
 こういうのを、「好きだった」とは言っても、決して「好きだ」とは言わない。
 展覧会にも「只だから」入った。なんだか恥ずかしいなと思いながら入った。

 でも、入ったときの僕と出てきたときの僕は別人だった。
 なにもステレオタイプのパンクスになったわけじゃないし、決してインスパイアされて元気になったわけでもない。むしろ、シドのサインを見たときは少し悲しいくらいだった。彼がその紙に1977年に確かに書いたのだ。

 僕はシド・ビシャスというベーシストを特別には好まないし、セックス・ピストルズというパンクバンドも特別には好まない。でも、それらに触れたときどうしても1970年代に流れていた空気を吸い込んでしまうのだと思う。

 この間フリッパーズ・ギターのグルーブ・チューブのPVを見て、改めて僕は60年代や70年代に存在していたサイケな空気が好きなのだと思った。超えるべきだとは思っても、あの時代を超えるものを僕はいつになっても見つけることができない。
 60年代には何かがあった、と村上春樹だって言っている。

 すこし前まで、これは単に懐古主義に過ぎないのだと自分では思っていた。古いものが良く見えるのだ。現に「十分古く」なりつつある80年代だってブームを巻き起こしているじゃないか、と思っていたのですが、でもそれが60、70年を超えることはできないんじゃないんだろうかと思えて仕方がない。

 スペースエイジの専門店に入って、また同じことを考えた。

 時代と言うのはアイスクリームに似ている。
 甘くて冷たい。
 そして、食べても食べなくても時間が経てば消えてしまう。