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Quartier latin Iterum

 「小学生のときから、ずっと生きるのが面倒だと思っていて、夜寝るときにこのまま目が覚めなきゃいいのにと思ってる」
 彼女はとても綺麗な女の子だった。一見、人生には思い煩うことなど何もなく、ただ美しい世界で毎日を謳歌しているような女の子だった。彼女が、あれこれ面倒くさくて、怖くも痛くもないのであれば今すぐに死んでしまいたい、生きることは面倒の連続だから本当にもう消えてしまいたい、というようなことを言った時、僕は彼女が描いている絵のことを思い出した。
 ある人は僕が書いていた残酷な小説の感想を送ってくれた。彼は軽々しい今風の言葉使いで表現すれば「クリエイティブで世界を良くする」関連のことを推し進めている人だが、「こういうことでもやってないとこんな馬鹿みたいな世界で生きてられないですよ」と言った。
 オシャレな会社のデザイナーを務めるある友達は2,3ヶ月に一度「もう死にたい」とメールを送ってくる。
 
 何かを作ることについて。
 何かを作るのが楽しいからそれをしているとか、ただ好きだからそれをしているのではなく、それをしないと生きていけない人がいると思う。
 もちろん「No Music, No Life」みたいな威勢のいいキャッチコピーとは別の次元の話だ。
 「クリエイティブ!!!」とか「DIY!!!」とか「ものづくり系女子!!!」みたいな明るいポップな装飾は社会に流通する媒体向けの化粧でしかなく、何かを作る他に空虚感や面倒さや死の誘惑から目を逸らす術を持たない種類の人たちがいて、たぶん僕も人種としてはそこに含まれる。だから、あまり「エンジョイものづくり!!!」みたいなことにはコミットできない。
 また、恋愛の高揚感が空虚感を埋めてくれていた若い時期を越えると、「作る」が占めるウェイトは急激に大きくなってくる(ここには「育てる」「探求」が入る人もたくさんいるのかもしれない)。
 
 1999年の終わり「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」というエッセイを、ネット黎明期に活躍した作家の田口ランディが書いた。21世紀における消費の価値が低いことは既に常識に組み込まれつつある。20世紀後半、先進国の人々に人生観や価値観を提供してきた「広告」がすでに消費を離れつつあるからだ。そしてインターネットはこれまで見えにくかったありとあらゆる種類の生き方と価値観をワンルームのベッドで「仕事の終わった今日」が終わってしまわないように、明日の「これから出勤」が来ないようにと無理して開いている瞳へ、スマートフォンの画面を通じブルーライトをベース周波数にして注入する。明日の朝、彼女はいつもの駅では降りないかもしれない。
 もうそれは消費では誤魔化せない。
 
 「ファブ」とか「DIY」というトレンドがもたらすものは「より良い世界」でも「イノベーション」でもない、それはたぶん「赦し」に似た開放だ。
 人間はお金の話が好きなので、どうしてもイノベーションという言葉に引きずられがちだが、イノベーションという言葉は社会に概念を流し込むための糖衣だと思う。”お金は社会の血液”とかいう、分かったような比喩に便乗すれば、血液に乗らなければ全身の細胞へは到達できないということだ。
 
 ファブというものに1年関わってきて、僕の中に生まれたのは驚くことに自分に対する赦しと寛容さだった。
 詰まらないゴミのようなものだって、別に作ったっていい。そういう許しだった。
 一昔前であれは、詰まらないゴミみたいなものをちょっと作ってみようかなと思っても、実際に制作するには多大なコストが掛かるので手を着けないことが多かった。今更改めて言うと、デジタル加工機器はそのハードルを本当に下げたので、今は詰まらないゴミみたいなものをさらっと本当に作ってしまうことが可能だ。
 「この程度のもの」と自分で思うものを作った場合、それを人に見せるのはとても恥ずかしい。愛想笑いで「いいですね」とでも言われれば消えてしまいたい気分になる。だけど、自分の中からそれが出てきたこと、少しでもそれを作りたいと思ったことは事実で、「この人はこれを作った人」という認識を相手に持たれたとしたらそれは端的に正しいレッテルでもある。そのレッテルが自分の一部であることは、自分で認めなくてはならない。制作は自己表現なんかではないが、にじみだしてしまった自己の一部であることは認めなくてはならない。
 
 「そんなゴミみたいなものを作ってどうするの」と人から言われそうなものを、躊躇いなく作れる環境のことをファブと呼びたい。
 世界を良くしなくてもお金にならなくてもいい。ゴミみたいなものでもいい。つまんなくてもいいし、自分以外の誰も欲しがる人がいなくてもいい。
 作る。死なないために。絶望しないために。
 まるで暗い話みたいだけれど、誰かが絶望しないために作ったものが「なにこれ!?」って大笑いするしかないタヌキの箸置きだったりして、僕達は暗闇と光の調和を知る。
 「世界にはこんなにすでに要らないものが溢れているのに、さらに3Dプリンターでゴミを作ってどうするんですか? それってエコじゃないですよね。っていうかエゴですよね。あっ上手いこと言っちゃった」みたいなことを言われたら、中指でも突き立ててやればいい。
 どうしてもイノベーションという言葉を使うのであれば、ゴミみたいなものを人々が堂々と簡単に作れる社会の到来そのものがイノベーションなのだ。
 もちろん、イノベーションという言葉を使うときには一度中指を突き立てることを忘れてはいけないわけだけど。