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東京ハイパーリアル:彼女はシミュラークル

東京日記

 東京の空気の匂いは独特かもしれないが、それは自動車の排気ガスの所為ではなく地下から微かに立ち昇って来る下水の臭いだ。大都市1300万人が地面の下に押し込む糞尿と汚水が、無機素材で覆われた街へ漏れ出している。人口密度が高いなら、当然それに伴う有機的排泄物の密度も高い。高層ビルの全ての階にトイレがあるというのがどういうことか分かるだろうか。壁の中を誰かのウンコが流れているということだ。大地は言う。壁の中の汚水をイメージせよ。アスファルトの下の糞便をイメージせよ。無機都市の皮の下張り巡らされたまるで有機的な血管とその中身。
 大地は常に何かを語り掛け、僕達はコンビニで耳栓を買う。ドラッグストアでマスクを買って電気屋で空気清浄機を買って百貨店でパフュームを買う。
 地面の下なんて気にすんな。ハチきれんばかりのSHITなら気にしなくてもどこもかしこもコンクリートで固めたから心配ない。バッチリ決めたメイク取って欲しいって冗談かい。えっ、このハンバーガー何からできてるか聞きたいって? 言ったじゃないか、ここは記号都市、ハンバーガーは「ハンバーガー」。「みんな大好きハンバーガー!」何からできてても同じことさ。値段は違っても味は同じ。名前が違っても味は同じ。
 記号的都市関数。入力するのは変数it's YOU。複雑怪奇な非線形は誰も予測できない複雑系で手掛かりになるのは青い月明かりとパルス応答。叩いてみなきゃ、何が出るか分からない。強すぎるパルス入力は糞尿の噴出を招くだろうか。でも中身は空っぽだという表面的なアメリカ人は銀色のカツラを着けてかつてこう言った。

「15分だけなら誰でも有名人になれる」

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 何年か前に、「くう・ねる・のぐそ」という35年間ずっと野糞をしている人の本を読んだ。著者の伊沢正名さんは変わっているかもしれないが、別に変態ではなくて1つのポリシーの下、努力して野糞をし続けている。数十年間ずっと意識的に外で排便し続けるのが現代社会においてどれだけ大変なことか、ちょっと想像すると分かるはずだ。渋谷の本屋でトイレに行きたくなったらどうしたらいいのだろう。山手線に乗っていてトイレに行きたくなったらどうすればいいのだろう。どこでなら僕たちは堂々と屋外で排泄できるのだろう。
 彼がどうしてこのような努力を続けているのか、もしかしたら簡単に予想がつくかもしれない。人間が排出した有機物は自然のサイクルに返すべきだというのがその理由で、もっともだと思う。口に入れる食べ物にだけ、オーガニックだの添加物なしだの、あれが健康的でこれはダメだとか神経を使うくせに、出す方は全く無頓着でトイレをフラッシュした後はもう頼むから消えてくれその先は考えたくもない、というのはかなり傲慢でアンバランスだ。オーガニックでエコとか言いつつ、実は独善的なだけだ。都市に住む人間は外で排便することを許されていない。それはとりもなおさず都市生活者の生活が自然界から隔離されているということで、どれだけ有機野菜食べようが、ヨガでもやってみようが、僕たちは大地から遠いところで生きていて、そしてそれは僕達が望んだものだった。
 だから否定しようなんて思わない。メガロポリスの虚構で支えた装飾とその危うさを美しいとも逞しいとも思う。肌荒れを隠す為に塗りたくったファンデーションが効かなくなって遂に真夜中のクラブとバーしか行かなくなって明るい昼間どこで何してるのかちっとも分からない昔土曜日の夜にときどき話した女の子のことを思い出す。いつあの子は帰ったのだろう。
 5時になって名残惜しいんだか、もうここまで来たら最後までいるけど実際のところは疲れてて早く終わって欲しいんだか分からない最後の曲が掛かって終わって、照明が明るくなってせっせとカップと吸い殻が集められて床がスイープされてついでに吐き出されるように出てきた通りには次の日の微かな明かりが東の空から侵食している。自動車はまだ少なくて、僕達は帰りたくなくて、早朝勤務の寝癖頭の店員がすっぴんのメガネで打ってくれるコンビニのレジで缶コーヒーを買って川辺りへ腰を下ろした。地面はまだ夜中のように冷たくてお尻がパンツまで湿っぽくなってくるのは時間の問題だろう。うすら白い僕達の顔。目の下にはクマ。伸びた無精髭。崩れ落ちたメイク。肌にベタつく汗はタバコの煙が溶けこんできっとひどいニオイだろう。帰ったらシャワーを浴びよう。タバコのニオイの汗は下水に流れ込み。またこの都市のどこかで誰かの脳裏を過るに違いない。朝が来た。

ヤマケイ文庫 くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを
山と渓谷社


消費社会の神話と構造 普及版
紀伊國屋書店