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インフルエンザ予防接種のこと;『予防接種は「効く」のか?』の紹介


(追記、2014年12月8日)
 この本は都合悪いことは書いてない、と指摘を受けました。
 書きなおすか削除を検討します。




 インフルエンザの流行が、また例年通りにやってきて、予防接種の話もそこここで聞かれるようになりました。僕は子供のときからずっと「科学」が好きで、それなりに科学に触れながら生きてきて、ある程度は科学的な知識を持っていると思います。でも「インフルエンザの予防接種を受けるべきかどうか?」とか「効果あるの?」とか、そういう話題には何も答えることができませんでした。インフルエンザだけではなく医療に関わることは複雑で統計的な処理をしないと効果が見えにくく、さらに人間というのはそれぞれの体も違えば生活環境も一人一人異なっているので、俺はこうだった、私はこうだった、という体験談も様々。マスメディアは”噛み砕いてわかりやすく”、さらにセンセーショナルに話題を流そうと躍起になっていて、聞きかじった噂はインターネットを飛び回り、それこそ感染症のように情報空間を広がります。
 医学会からの情報にすら、「医者の金儲けの為だ」「インパクトある論文にする為だ」とかケチがツケられて、もう人々は彷徨い誰かの耳障りよい言説を信じて終わりにしたい気分になります。もしも個人にスーパーマンのような力があれば、医学の歴史上行われてきた全ての先行研究を追試して、なんてこともできるだろうけれど、現実的にはありえない。それどころか、ある1人の市民にとってみれば「一次資料を当たって分析」なんてこともしてられない。本音としては「信用できる専門家に信用できる話をしてもらいたい」。安直な方法だし、危険な方法です。「信じる」というのは危険です。けれど、僕達は「あらゆることに関して何も信じないで俯瞰的に全ての情報源を分析していく」なんてことはできません。現実的には僕達はどこかで妥協しなくてはならない。ホテルに勤務している人が上司から「インフルエンザの予防接種をして来るように」と言われて、今日医者へ行って打つかどうか判断しなくてはならないかもしれない。そんなときに世界中の歴史上の全論文を取り寄せて分析するなんてできない。「疑念」というものを片隅に保管したまま、一旦は誰かの信用できそうな意見を採用してみなくてはならない。それは答えではないかもしれないけれど、当面は使える足掛かりになります。

 僕が「とりあえずここを足掛かりにしよう」と思ったのは、岩田健太郎『予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える』という本です。
 著者の岩田先生は感染症の専門家で、僕は2011年に神戸で開催された『災害時のリスクとコミュニケーションを考えるチャリティシンポジウム』でお話をきかせて頂いたことがあります。その時のお話の様子から、僕はこの人は信用できるなと思いました。もしかしたらこのときに実際に見ているので親近感が湧いているだけかもしれませんが、誰に対してでも会えば親近感が湧いたり信用したくなったりするわけではありません。

 
 この本の「あとがき」から引用させて頂きます。

<ある種の人たちはどうして、あんなにワクチンを憎悪するのでしょうか。そのことを考えてきました。
 ワクチンを否定したい、という気持ちそのものを、僕は否定するつもりはありません。誰にだって好き嫌いはあります。僕にもあります。
 (中略)
 ただ、大人であれば、「好き嫌い」の問題は顕在化させてはいけません。絶対に慎み深く隠蔽し、なかったかのように振る舞わなければいけません。「ぼくにんじん、きらーい」とか「私、けんじくんなんて大嫌い」といったステートメントは、子どもにだけ許された特権なのです。おとなは「好き嫌い」を口に出すことは許されないのです。
 そのような抑圧が、ゆがんだ形で表出されることがあります。「わたし、けんじくんなんて大嫌い」なんて子どもっぽい振る舞いを大の大人がやってはいけないから、「けんじくんの見解はいかがなものか?」と話法を変えてみるのです。「好悪の問題」を「正邪の問題」にすり替えるのです。前者は個人的な主観ですが、後者は客観的な事実関係を扱っている(ように見える)。
 (中略)
 「ワクチン嫌い」の言説は、好き嫌いから生じていると僕は思います。最初は好き嫌いから始まり、そして「後付けで」そのことに都合の良いデータをくっつけ、科学的言説であるかのように粉飾します。都合の悪いデータは罵倒するか、黙殺します。
 (中略)
 本書ではワクチン問題の「好悪」の部分と「正邪」の部分を切り離すことに、エネルギーを費やしました。ある程度は成功したと思います。
 僕はみなさんに、「さあ、みなさんもワクチン打ちましょうね」とプロパガンダをぶち上げているわけではありません。
 手持ちのカードは開陳されました。あとは、読者のみなさんが、自分の頭で考え、自分の意思で決断するだけです。>

 プロパガンダをぶち上げてはいないですが、副題の「ワクチン嫌いを考える」からも読めるように、「打てとは言わないが、毛嫌いもどうかと思う」と、毛嫌いしていた人にとっては「打つ」寄りに感じられる本かもしれません。
 ここでの「好悪」というのは、「面倒」で置換可能ではないかと思いました。好き嫌い以前に、予防接種を受けるのは面倒です。病気でもないのにわざわざ病院へ言って、時間もお金も掛かります。しかもちょっと痛いし、体に「異物」を放り込まれる。予防というのは何事においても面倒でアホらしくて、時にかっこわるい気もするし、できれば御免被りたい。何かが起こってからそれを「治療」とか「修理」とかしてもらうことには感謝できるけれど、何も起こらないうちから「虫歯にならないように歯磨きしなさい」とか「乗る前にタイヤの空気を点検しなさい」とか言われると、「うるせーな、そんな面倒なことやってられっかよ」となってしまう。

 だから、僕達は最初から「ワクチンなんて意味ない」と思いたいバイアスを持っていると思います。
 意味があるんだったらわざわざ病院に行かなくてはならないので、誰かに意味ないから打ちに行かなくていいと言って欲しいのです。それでインフルエンザにかかったら、どうせ予防接種をしていても掛かっているはずだから、とあきらめが付くので問題ありません。「インフルエンザの予防接種には意味が無い」と信じた方がイージーで快適なのです。妊娠の可能性とか超絶に楽しみな旅行前とか「絶対にインフルエンザに掛かりたくない」と思っている人以外にとって、予防接種というのはそういう心乱される選択肢だと思います。僕の場合はそうでした。
 この本は、まずそこを解く一助となってくれます。
 インフルエンザの予防接種を受けようかどうか迷っている人や、職場の上司に受けろと言われた人とか、この季節、予防接種が若干の悩みのタネになっている方も結構多いのではないかと思ってこの記事を書きました。
 この「心悩ませる余計な選択肢」みたいに見えているものが、ものすごい数の人命を救ってきた医学者たちの真摯な努力と叡智と覚悟の結晶であることを、「めんどくさい」の前に、もう一度振り返っても良いのではないかと思います。

予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)
岩田健太郎
光文社