西海岸旅行記2014夏(14):6月8日:ポートランド、アソシエーションがない、携帯電話もない!


 コーヒーショップを出た僕達は、ダウンタウンへ向かった。MAXを降りると小さなレンガ作りの広場があって、矢鱈滅多と鉢植えの花が並べられており、それらにまとめてスプリンクラーで水が撒かれていた。クミコが「パイオニア・コートハウス・スクウェアだよ、ここ」と言うので少し驚く。パイオニア・コートハウス・スクウェアポートランドの紹介をする時によく出てくる広場で、これももっと広いものかと思っていたら結構小さいし、なんてことない。そんな風にブツブツ言いながら、スプリンクラーの水を避けてちゃちゃっと広場を抜け、そして僕はあることに気が付いた。
 ノキアスマートフォンがない。
「あれっ、ノキアないんだけど、クミコが持ってたっけ?」
「そうだっけ、うーん、私も持ってないみたい」
 クミコがポケットとカバンを探る。
「じゃあ、やっぱり僕が持ってるのかな」
 僕は、持っていたものをどこかに置き忘れたりしたことがほとんどない。携帯電話をなくしたことも一度もない。だから最初はカバンのどこか奥底にでも入れてしまったのだろうと思っていた。けれど、いくら探してもノキアは見当たらない。ポケットには確実にない。カバンにも確実にない。ということは本当になくしたらしい。
「旅のトラブルが発生してしまったかもしれない。本当にない」
 ソルティがiPhoneを取り出して、ノキアに電話をしてくれた。電話は繋がった。
「そうです、友達が落としたみたいで、あー、電車にありましたか、今私達はパイオニア・コートハウス・スクウェアにいますけど、あなたはエースホテルの近くにいるんですね、ちょっと持ち主に代わります」
 ソルティはiPhoneをクミコに渡した。
「もしもし、ありがとうございます、ええ、ええ、それでしたら、私達どうせ明日エースホテルに泊まるので、エースホテルに預けておいて頂いたりできますか? あっ、そうなんですね、ケリーは私達が泊めてもらっている家の人です、まだ会ってないんですけれど、そうですかケリーに連絡済みでケリーが電話取りに行ってくれるんですか、それは恐縮ですけれどお願いします、本当に助かりました」
 どうやらノキアを拾った人は、中を調べ、ケリーに電話をしてくれていて、しかもケリーはその人のところまでノキアを受け取りに行くと言ってくれたらしい。まだ顔も見ていないというのに、とんだ迷惑を掛けることとなった。もう話は付いているみたいなので、ここはもう任せることにする。

 ウィラメッテ川の方まで行くと、なにやら賑やかで、お祭りのようなものが開催されていた。映画にときどき出てくるああいうやつだ。メリーゴーランドがあったりするような。それが夕方の川沿いの公園にずーっと広がっている。
 「こういうのってさ、子供の時から行ってたら、ああ夏祭りだー、みたいに思うんだろうけど、そういうアソシエーションがなかったら楽しめないよね」とソルティが言った。
 「そうだよな、まったく」僕は奇妙に納得してしまった。そして「アソシエーションがある、ない」という言葉の使い方が自分の中にストンとインストールされた。アソシエーションというのは「結びつき」というような意味合いの言葉で、たとえばPTAのAはアソシエーションのAだ(ちなみにPはparent,Tはteacherで、親と教師が一緒に活動する団体を表している。PTAという言葉を聞くと筒井康隆の「クタバレPTA」が真っ先に頭に浮かぶ。「クタバレPTA」を検索してみると「クタバレPTA」は片仮名で「クタバレPTA」はなくて、平仮名で「くたばれPTA」と書くみたいだ。確かに「クタバレPTA」よりも「くたばれPTA」の方が自然ではあるから「くたばれPTA」と書いたほうがいい)。

 僕は日本で育っているので、基本的にはアメリカの物事にアソシエーションがない。映画やドラマの中で見たものにいくらかあるだけだ。こういう街にやってきた遊園地みたいなお祭にアソシエーションがあるのはどんな気分だろうかと思う。僕達が地元の夏祭りや花火大会に感じるあの感覚を、こういった全く異なる形態の祭に対して抱くというのは。
 ポートランドの後、僕達は一旦シアトルに戻って、サンフランシスコへ行った。サンフランシスコからヨセミテ国立公園、LAと移動したのだが、昼間はこれでもかと明るくて暑かったのに「夏だ!」という感覚はあまりなかった。それはsummerだったのだろうけれど夏ではなかった。僕の知っている春夏秋冬という4つの季節とは異なる第5の季節を体験しているようで、気候が違うのだから当然だったのだろう。summerは素敵ではあるものの、アソシエーションがない。結局、「ああ夏だな」と感じたのは日本に帰ってきてからだ。ジメジメした京都盆地から山の向こうへ沸き上がる巨大な入道雲を望むとき。7月がやってきて街中がコンチキチンと鳴り出すとき。なにより僕の場合は、本屋に入って夏っぽい本が平積みにされているのや、「ナツイチ」キャンペーンが目に入ると強烈に夏だと思う。子供の頃、夏休みにはほとんど毎日本屋で立ち読みしていたから強いアソシエーションがある。

 アソシエーションの有無は、僕達個々の世界の見方を方向付ける。見方どころではなく、個々の住む「世界」そのものを特徴付けている。ネガティブには偏見という言葉を持ち出すこともできるかもしれない。
 目の前で繰り広げられているお祭りにアソシエーションがないことを、もう絶対にそれが手に入らないことを少し寂しく思う。僕は日本人なのだ。日本で生まれ、日本で育ち、日本にアソシエーションを持つ人間なのだ。それは良くも悪くも僕を限定し特徴付ける。

 そんなことを思いながら歩いていると、日本語が目に飛び込んできた。短歌だった。川沿いにたくさん石が埋め込まれていて、日本語と英語で歌が彫られている。どうしてこんなものが置いてあるのだろうかと思えば、ここは「ジャパニーズ・アメリカン・ヒストリカル・プラザ」という所だった。前にも書いたように、この街は日本との関わりが深い。

 ウィラメッテ川に軍艦の様なものが停泊していて、特別内覧時間が終わりつつあるようだった。僕は大きな船が好きなので、「乗ろう!」と言ったのだが、もう入場は締め切られていた。ゲートの兵士に「明日もあるのか」と聞くと、「もう今日で終わり」ということだ。

 そしてまた例によって行く宛なく歩いていると、なんとエースホテルが目の前にあった。この日は初日で全く土地勘がなかったのだが、今から思えばパイオニア・コートハウス・スクウェアとエースホテルはそんなに遠くないので、自分達でエースホテル近辺までノキアを取りに行くのも簡単なことだった。
 「ちょっと入ってみようか」とエースホテルのロビーに入り、そのまま隣のClyde Commonというレストランで軽食を取ることにした。ホテルやレストランの仕事もしているクミコが「悔しいけれどいいお店だ」と言い、ソルティは掛かってきた人生相談というか、それよりややドロドロした相談の電話に出て、僕はIDをチェックされて良く分からないカクテルを飲んだ。

くたばれPTA (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社


夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
赤松 啓介
筑摩書房