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学祭で大声で売る人が苦手な理由

「学祭の模擬店で大声で品物を売る人が嫌いだ」というようなことをツイッターに書いたところ、「どうして自分の店に客を呼ぶために大声を出している人が嫌いなのか?」という質問を頂きました。ツイッター上では140文字の制約があって、そこで「嫌い」という論理的に説明できるかどうか分からないことを説明しようとするのは無理だと判断したのでここで説明を試みたいと思います。「嫌い」の説明なのでもしも上手く説明できなかった場合は申し訳ありません。
 尚、僕はここにはただ「僕はそれがなんだか嫌いだ」ということを書いているだけで、だから学祭がダメだとかやめなくてはならないとかいう主張をするつもりは毛頭ありません。やりたい人がたくさんいて楽しみたい人がたくさんいることは承知しています。むしろ僕はひねくれていて心が狭い人間なのだろうなと少し恥ずかしく思っています。


 僕がそれを嫌うのには、理由が主に3つあると思います。

・大声は暴力に極めて近いものだという認識が僕にあるから。

・「楽しい」という事を「大声で笑ったりして賑やかである」と画一的にはき違えている感じがするから。

・それらに気づいていても「学祭だからOK」という言い訳をしているような気がするから。

 という3点です。

 一つ目の「大声が暴力に極めて近いものだ」というのは、もちろん、学祭に限っての話ではなく一般的なものです。
 日常生活で大声を出す人はあまりいません。電車の中や食堂で大声を出す人はいません。それは大声を出すことが恥ずかしいからでも面倒だからでもなく、単に大声を出すと周囲の人に威圧感を与えたりして迷惑だからという理由によるものだと思います。必要以上に大声を出すとき、人は自分が周囲に何かをアピールしています。例えば、ものすごい大声でバカ笑いしている集団は、本当にそれが面白くて仕方ないというよりも、自分達は今こんなに楽しくしているのだ、というアピールを周囲にしていることがあると思います。楽しさだろうが賢さだろうが裕福さだろうが、その空間にいる、本来自分達に無関係な人々の耳に大きな音声を放り込んで自分達の何かを誇示するというのはとても暴力的なことだと思います。無論、誰かを恫喝することは言うに及びません。
 自分のお店に来てもらう為に大声で叫ぶというのは、あくまで自分の利益の為であって、緊急時に避難先を人々に伝えなくてはならなくて大声を出したりするのとは違う話です。「おいしいタコ焼きいかがですか」と叫ぶのは、言葉が丁寧であったとしても意味としては「うちのタコ焼き買えよ」ということです。もしも、これがタコ焼きを買って貰えないと生活できないとか殺されるとかいう場合であれば「お願いだからタコ焼き買って下さい」という心の叫びだと解釈することもできますが、学祭の模擬店でそういうことは考えられません。
 今書いたことは少し極端かもしれませんが、大声が「ちょっと暴力的なもので、優しいものではない」ことには同意して頂けると思います。そして僕は優しいものが好きで、暴力的なものが嫌いです。自分達の模擬店の為に大声を出す(あるいは歩いている前に立ちふさがる)人たちが優しいとは決して思えないのです。

 2点目の「楽しさ」のはき違えというのは、実はそんなに大声を出したいという訳ではないけれど、でも大きな声が出ていないと自分のお店や学祭全体がなんだか盛り上がりに欠ける詰まらないものみたいに思われるのではないか、という「画一化された楽しさの基準」ドライブがかかっているような気がするからです。
 僕は「楽しさ」には色々なベクトルがあると思っています。冗談を言い合って笑うのが楽しい人もいれば、じっと静かに座っていることが楽しい人だっています。お酒を飲むことが楽しい人もいれば、お茶を飲むのが楽しい人もいます。
 ところが、世の中には自分の楽しさ基準に合わない人のことを「詰まらない」とばっさり切り捨てたり、それも楽しさの一つであるということを信じない人が結構たくさんいます。そういう人達は静かにしていたいから静かにしている人に向かって「それじゃ面白くないでしょ、もっとパーっとしようよ」とか訳の分からないことを言います。お茶を飲んでいる人に「なんで?お酒飲まないと詰まらないじゃん」とか傲慢なことを平気で言います。
 僕はそういう人達が嫌いです。自分の価値観以外の価値観を想像できない人が嫌いです。
 さらにもっと嫌いなのは「静かに座っているのが私には楽しいけれど、世間ではパーっと騒ぐのが楽しいということの標準みたいで、そこから外れると私が楽しいということをみんなは分かってくれないらしいから、だから私は静かが好きだけど賑やかに振る舞おう」と考える人達です。ひいては自分がそんな心持ちで賑やかにしているだけなのに、そんな状態で「もっとパーっと賑やかに」と平気な顔して静かな人に向かって言う人です。
 これはそのまま3つ目の理由に繋がるのですが、ここでは「学祭というのはパーっと賑やかなもので、私は静かなお店がいいんだけど、それじゃあ学祭をエンジョイしていないみたいだから大声出しておこう」という嘘があるのではないか、ということです。
 学祭だから、というのが言い訳になって「大声で人に何かを売るのは若干暴力的な感じもするけれど、でも学祭だから暴力的でもまあいいじゃん」と思って普段ならそれを慎むような人が大声を出している場合もあるのではないか、ということです。
 だいたい、このような感じで僕は学祭で大声で店をしている人が嫌いです。穿った見方で自分でも性格が悪いと思いますが、でもそう思っています。

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