阿闍梨の犬は修行中吠えない

 それではマトリックスの話に戻りましょう。印象に残ったシーンというのは、ネオが予言者の所を訪ねた時の話です。

 そこにはチベットの僧侶みたいな格好をした男の子がいて、スプーンを超能力で曲げています。
 彼はネオに「本当はスプーンなんてないって分かっていれば簡単なことだ」と言う。

 マトリックスの中では全てはプログラムで書かれた仮想現実にすぎません。例の裏返った緑色のカタカナで編まれた空間です。実体が本物のスプーンではなく、ただのプログラムだと分かっていて、そのプログラムを書き換える方法さえ知っていれば、スプーンなんてどうにでもすることができる。もちろんスプーンに止まらず、世界の全てを。

 そして、僕達の世界に存在するスプーンも、哲学者やブッダやイエスや聖者達のいうように、本物のスプーンではない。

 ついでに少しチベット仏教の話をすると、チベットで修行した日本人に野口法蔵さんという人がいます。
 彼はもともとカメラマンか何かでした。チベットに行ったらそこですっかり仏教の虜になってしまい修行を始めた。僕は一冊だけ本を読んだことがあります。
 その本はいきなり「私は毎日10時間”五体倒地”という祈りを行っています。バカだと思うと思うけれど」というような文章から始まり、ガンジス川の畔で焼け残った死体を思わず食べちゃった、みたいなことも書かれている変わった本でした。

 その中に瞑想のシーンが出てきます。
 標高何千メートルという山の中にある寺院で、暖房も何もない部屋の中、石畳の上に座って瞑想するのですが、そんなの寒くて瞑想どころではありません。気温が氷点下何十度という世界です。普通、そんなところでじっと座っていたら凍傷になったり死んだりします。
 実際に、僧侶の中にも瞑想中の凍傷で指なんかをなくした人がいるようです。

 ところが、上手に瞑想すると指は凍らない。野口さんは、指導者に「あの山まで行って帰って来れたら大丈夫」という言い方をされたそうです。あの山というのは瞑想中遠くに見えている山で、座ったまま意識が遠いその山まで行って、また帰って来れるような状態になれば大丈夫とのこと。
 彼は無事に瞑想をやり遂げた。

 マイナス何十度の中に何時間座っていても人体は本当はびくともしない。僕達の身体は、ひいてはこの世界は、僕達が日常考えている程度のものではない。 
 世界はそのプログラムを理解するにはあまりに広大だから、きっと僕達は自分の身体からはじめるのだ。
 自分でも”もの”でもあるこの摩訶不思議で身近なところから。ちょうど、武術が最初に身体の扱い方からはじめて、次に武器の扱い方、そして敵の扱い方、とステップバイステップに自己を拡張していくように。

 空手にはバット折りというパフォーマンスだか儀式だかがあります。立てたバットを蹴って臑で折るというものです。
 これは昔テレビで見ただけだけど、レベルも体格も変わらない二人のうち一人に空手の先生はバット折りを許可し、もう一人には許可しませんでした。そのとき「彼の性格だったら大丈夫だけど、こっちの彼の性格だったら自分の足が折れるからダメ」と理由を述べていらしたのですが、性格でダメというのを聞いてひどく驚いたのを覚えています。
 でも、たぶん本当にそうなのだろう。バットか臑のどちらが折れるかは、半分は心で決まるのだろう。

 宗教の苦行の他に、武道でも苦行みたいなものはあります。寒稽古だとか禊ぎだとか、運動科学的にはやめた方がいいような悪条件の中で体を動かす。
 あるいは瓦を割ったり、煉瓦を割ったり、トラックにひかれてみたり。

 僕は最初に触れた武術が少林寺拳法で、少林寺拳法の開祖宗道臣は「レンガ割りたいならハンマーで割れば良い」というようなことをいう人だったので、僕も子供のときはそう思っていました。

 でも、今は瓦割りの意味がとても良く分かります。あれは自分の身体に対する弱い先入観を捨て去る為の儀式です。弱い身体を越える為の。

 一時期日本でも流行ったイスラエルの護身術みたいなものにクラブマガというのがありました。
 彼らは一般の受講者に対するレクチャーに「風船割り」を入れています。床に座って風船を手で押しつぶして割るだけです。軟らかいから誰にでも簡単にできる。でも、風船は割れたときに大きな音がするのでちょっと怖い。音なんて害がないって分かっているけれど、すこし腰が引けてしまう。割るのを躊躇ってしまう。その微かな躊躇いを消すために何度も何度も風船を割る。
 たぶんこれはとても軽いタイプの瓦割りになっていると思う。

 ちょっと阿闍梨の話に戻ると、阿闍梨の食事は栄養学的に見たら不可能だそうです。
 フルマラソンを走るアスリートは栄養学的にちゃんとした食事をしますが、阿闍梨は掛け蕎麦と芋2個みたいな粗食で、それで山の中をフルマラソンと同じ距離毎日のように駆け回っています。

 強い寒さに長時間さらされたら死ぬ。
 ちゃんと栄養とらないと体に悪い。
 臑をバットにぶつけたら骨が折れる。

 そういうのは半分は僕達の強い思いこみが作り出しただけのものかもしれません。
 そういえば昔、真島昌利が歌っていた。

「栄養とらなきゃ体に悪いって本当なのか?
 睡眠とらなきゃ体に悪いって本当なのか?」

 <続く>

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