水着都市京都という提案

 梅雨が明けて、京都盆地に夏がやってきました。
 この街は暑くて湿度の特別高い夏と、底冷えの厳しい冬で有名です。エアコンもろくな暖房器具もなかった平安京の暮らしはさぞかし辛かったことだろうと思います。一昨年の夏、北海道から帰って来て、地下鉄から京都市役所前へ出たときの衝撃は今も忘れません。それはお風呂の外と中ほどの温度差湿度差がありました。

 さて、いくら夏の暑さと湿度が厳しくても、人々は職場へ出たり学校へ行ったりします。家から出て駅まで歩いたり、自転車に乗ったりするだけでもう肌は汗ばんで、会社だとか学校に着くとシャワーを浴びたくなるくらいだと思います。

 そして、人々はみんなこう言う。
 「暑いのは嫌」だって。

 僕も暑いのは嫌です。
 でも、良く考えてみると、本当に嫌なのは「暑さ」そのものではないような気もするのです。
 その証拠に、みんな結構暑い夏のことが好きですよね。街で暑い夏を過ごすのはちょっとあれだけど、たとえば川や海や山で暑い夏を過ごすことなら多くの人が好みます。

 どうして街での夏は嫌で、自然の中での夏はOKなのでしょうか?

 僕が思うにそれは自然の中では人は自然の中っぽい服を着ることが許され、自然の中っぽい行動を取ることが許されるからではないでしょうか。
 たとえば山の中の水辺では水着を着ることがとても自然に受け入れられます。そして汗ばんだ体を水で流すこともまた当然の行為だと見なされます。
 ところが、同じことを街の中でやるとちょっと変な人になってしまうわけです。鴨川だとか街の中の公園的な場所ならまだしも、ここで僕の言っている街というのはバリバリのオフィス街やなんかのことで、たとえば会社の中で水着着て洗面台の水でびちゃびちゃになったりしてたらかなりの変人ですよね。
 でも、みんながそうしている会社ならどうでしょうか。水着で通勤して、会社に着いたらまずはシャワーを浴びるような会社。水着のまま働いて、汗ばんで来たら水浴びして。

 実は、僕達は「暑い」ことが嫌なのではなくて、「暑いのに暑いとき用の行動がとれない」ことが嫌なだけなのではないでしょうか。

 張り付くワイシャツとか崩れる化粧とか暑い革靴とかストッキングとか。
 汗をかいているとなんだか汚く思われそうで怖いこととか。
 夏の暑さに人体の示す反応を隠さなくてはならないこと。それがストレスなのだと思う。

 もうあっけらかんとした街作りをしても良い頃ではないかと僕は思います。
 どこかの山や川や海のように。
 どこかのリゾート地のように。
 どこかの暑い国の村のように。

 汗かくのもお互い様だし、涼しい服着たいのも、汗ばんだ肌を水で濡らしたいのも、全部お互い様だし、みんなが水着みたいな服を着て、好きなときに水浴びして、海の家では多少席が濡れていても文句を言わないのと同様にレストランも水着仕様にして。そういった暑さに適応した、むしろ暑さを楽しむような人々の闊歩する街やオフィスや学校にしてはどうかと、僕は毎年夏が来ると思います。

 この街はそういう暮らしをするに十分暑い。 

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