銀行に集まる個人の小さな力

 銀行というものが長い間好きではなかった。今も別に好きではないから、好きでは無かったという表現は控え目すぎるかもしれない。僕は何となく銀行というものが嫌いだった。たぶん、お金というのは何かと汚いものだ、というような道徳を子供の間にはそれとなく吹き込まれるからだろう。

 随分昔のある時、僕は日本で最初に銀行ができたときの話を聞いた。もうその銀行の名前すら覚えてないけれど、その話の一部は印象深くて今も忘れない。
 その時、日本にはまだ銀行がなくて、それで誰だかが「日本にも銀行を」と奮闘し銀行ができた。彼は銀行が存在しなかった時代に「どうして銀行が必要なのか」ということを説かねばならなかった。

 僕はそれまで、どうして銀行が存在しているのか、深く考えたことがなかった。せいぜい金庫の代わりか何かとしか思っていなかった。家にお金を置いておくのは不安だから、セキュリティのしっかりしたところに預けておくのだ、と。

 僕のあまりにも浅はかな銀行理解に反し、銀行設立に奔走するその男が主張したのは「みんなの力を少しづつ集めて大きなことを成す」という事だった。
 たとえば、100万人の人々がそれぞれ100円を貯金箱に持っていても、それは世界を動かす力にならない。でも、この100万の人々がそれぞれの100円を銀行に預ければ銀行には1億円のお金が集まる。1億円あれば、それを借りた人が何かの事業を始めることが可能だ。それは社会に流れをもたらす。

 この話を聞いてから、銀行と、それからお金に対する見方が変わった。お金というのは世界中の人々が力を貸したり借りたりするときに使うコミュニケーションの道具だ。

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