管理下におかれる人々

 昨日の夜、雨の中、百万遍から金閣寺まで自転車で友達を訪ねた。メインの話題は全く別のことだったのだけど、それとは別にこういう話をしばらくした。

 大学の管理の話。
 それは彼のこういう一言から始まった。

立命ってやっぱりイモ大学だ」

 僕も彼も大学に所属している。
 彼は立命館大学の博士過程に、僕は京都工芸繊維大学の博士過程にいる。

 友達の話によれば立命館はキャンパス内全面禁煙に取り組んでいるということだ。あの衣笠キャンパス内になんと2つだけ喫煙シェルターがあって、タバコを吸えるのはキャンパス内でそこだけ。建物の中で、ということではなく、外も含めたキャンパス内でその二箇所だけ。各喫煙シェルターは6帖程の広さしかなく、当然だが、立命館のようなマンモス大学にいる喫煙者のニーズをそれが満足するはず無い。
 当然のように、校舎の裏や、キャンパスを一歩出たところで一服する人が続出し、大学はその対策として2人組の見張り係を巡回させているらしい。巡回係は一日中クルクルとキャンパスの中を歩きまわって、喫煙者を見つけると注意する。

 このヘンテコな話を受けて、僕も自分の大学の変な話を披露した。

 なんと、うちの大学の正門には自転車に乗ったまま構内に入る学生を止める係の人が一日中立っていて、乗ったまま入ろうとすると止められるのです。今はもうなかったと思うけれど、この係が立ち始めた頃、彼らはプラスチックの棒を持っていて、通ろうとする学生の前を塞いでいた。学生はそこで一旦自転車を下り、中に歩いて入って、そしてまた自転車に乗って構内を移動する。
 幸い、僕は正門を滅多に使わないので、この異常な光景を目にすることはほとんどなかったのだけど、それでも随分腹が立った。面倒だから黙っていたけれど、他の誰も文句を言わないので、そろそろ何かしなくてはならないようにも思う。
 自転車をおける場所も、どんどんと限定されている。
 僕がずっと止めていた場所には、いつの間にか「施設管理課」のコーンが置かれていて、誰も自転車を止めなくなった。代わりに道路の反対側に止めることになっていて、細い道路を渡るくらい別に大した不便もないし、みんなと同じ場所に停めても良かったのだけど、なんとなく腹が立つので僕は同じところに止め続けていた。もちろん、サドルに「ここは駐輪禁止です」って御丁寧に作ったステッカーをいつも貼られて。なんだかバカバカしくなってきて、今は根負けして道路の反対に止めている。
 自転車を今までの様に建物の出入口付近に止めるのは邪魔だ、という判断だろう。でも、自転車がなくなった代わりに、そこには施設課のコーンが置かれている。彼らが置いたものは邪魔ではなく、僕たちが置く物は邪魔、という判断だろう。

 みんなが勝手気ままに自転車を止めていたとき、本当にそんなに邪魔だっただろうか? 人が通れないような置き方をする人間がどれくらい居ただろうか? 自転車を建物の入口に置けなくなった不便さというものは考慮されないのだろうか?

 こういうことって一体誰が「こうしたい」って言い出すのだろう。
 全く理解できない。
 黙っているとどんどん管理は進む。それは多分管理の為の管理だ。おかしいと思っても、面倒だから、ちょっと目をつむれば良いだけだから、僕たちはすぐに黙ってしまう。でも、そろそろ声を上げた方がいいだろう。これは些細なことではない。他のみんなもすると困るからあなたもやめて下さい、という訳の分からない論理も常識にカウントするの辞めにしてほしい。

 もう本当にうんざりだ。
 誰のタメでもない管理の為のルールと、論拠に成り得ないもっともらしい言い回し。

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)
寺山 修司
角川書店


エグザイルス・ギャング (幻冬舎アウトロー文庫)
ロバート ハリス
幻冬舎