回転。

 僕は修士1年のとき大手の学習塾でアルバイトをしていました。数学と理科を基本的には教えて、代講で国語と英語もそれぞれ一度づつ教えたことがある。塾の講師をはじめるに当たっては、何度か研修があり、その中で何度か先輩講師を生徒に見立てた模擬授業も行う。もちろん模擬授業の後には、ここが良かったとか悪かったとか、たくさんのアドバイスを受けるわけですが、その中に「左手をポケットに突っ込んでいる」というのがありました。

 生徒を前にしてならいいかどうかは別として、これから講師をはじめるというトレーニング期間の分際で、塾長をはじめとする諸先輩を前にした授業を左手をポケットに突っ込んだまま行うというのは失礼なことに違いなかったし、自分でもそんな失礼なことをまさかするとは思っていなかったので驚いた。僕は無意識に左手はポケットに入れたままで授業をしていた。

 指摘を受けて頭に浮かんだのはN先生が電子回路の講義をする姿だった。
 僕は学部のときにN先生の講義を受けていて、この先生からは随分な影響を受けたと思う。もっとも電子回路という課目に関しては実に不出来な学生だったので、内容を良く理解したとかそういうことでは残念ながらないのですが、飄々としてユニークでかつ知性を感じる話の仕方に確実に何かの影響を受けた。そして、思い出せばN先生はいつもポケットに左手を入れたままで、右手一本で黒板に次々と式や回路を書いていらっしゃった。

 紛れも無く、僕がこのときポケットに手を入れたままだったのはN先生の真似を無意識に行っていたものだと思う。これらの研修を終え、講師として授業を始めると、不思議なことに全く忘れていた過去の自分の先生達が次々と頭の中に現れ、そして僕は半分そのリミックスで授業をしたようなものだった。それはなんとも不思議な体験でした。武術の世界では、一度見ておけば必要なものは体に残る、というようなことを言う人がいますが、これはそれに近いことかもしれない。
 結局、この左手をポケットに入れる癖はなかなか直らなかった。

 この間の土曜日、そのN先生の最終講義がありました。昔自分が電子回路の講義を受けた教室で語られる先生の今までの歴史みたいなのを聞くのは不思議な気分だった。その昔モデリングで困ったとき、ディラックの「量子力学」をなんとなく読んでいたら「式なんてえいやと作ってしまえば良い」みたいなことが書いてあって、それが突破口になった、ディラックが本当には何を言いたかったのか知らないけれど僕はそう解釈した、という話があって、この話はこの先僕の研究生活に大きな影響を及ぼすだろうなという予感を抱いて教室を後にした。


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 そういえば先日初めて堂本印象美術館へ行きました。その日僕は全然美術館へ行く予定ではなかったのですが、Yが行くというので一度見ておいても良いだろうと思って訪ねた次第です。何度も前を通って知っている建物の外装が一番良かったです。

 美術館へ入る前からお腹が空いていたので、どこか良さそうなところを見つけたら入ろうと言うや否や、目の前に回転寿司があったので「ここでもいいけれど、たまには」と恐る恐るそこに入りました。回転寿司なんかに入るのは小学生の頃以来で、ほとんど20年ぶりということになる。どこの回転寿司屋もそうだというわけではないと思いますが、ここの回転寿司は20年ぶりの僕にとって未来の回転寿司でした。まず店舗が大きいし、入ったら番号とテーブル地図の付いたボードを貰い、それを頼りに自分達のテーブルへ向かいます。そして自分でお茶やお皿を用意して座り、注文はテーブルのタッチパネルで、食べたお皿はテーブルの横にある穴に入れると数がカウントされて、しかもお皿5枚につき一回ミニゲームがタッチパネルの画面ではじまる。ネタは普通の寿司ネタからハンバーグ、照り焼きチキンなどの載った異常寿司まで用意されているし、もちろんうどんもデザートもなんでも寿司屋に入って食べたくなりそうな最大限のレンジはカバーされている。食事が済むとまたタッチパネルで「お勘定」ボタンを押せば即座に係りの店員がやってきて伝票を記入していき、あとは普通にお金を払うという次第。尚、寿司の注文は携帯からネットでもできるということ。回転寿司に入ったのはこの日一番印象深い出来事でした。一瞬ブロイラーのニワトリになったような気持ちもしましたが、食べ物の溢れかえったそれはそれで楽園のような場所だと、思えば思えなくもありません。あらゆる意味で日本的な場所だった。