bacterial metabolite.

 納豆を食べるとき、いつも一瞬の躊躇いがあります。においや味の所為ではなく、理由は別のところに2つ。大量殺戮と恐怖。

 パックを開けて、付属のタレとカラシを入れれば、即ち塩分とカラシの殺菌成分で何億という数の納豆菌が死滅するに違いないわけですが、果たしてそんなことが許されるのだろうかと思うのです。高々僕が納豆を食べるという行為のために、そんなにたくさんの命が犠牲になっていいのだろうかと。
 もちろん、そんなことを言えば、手を石鹸で洗うときにも何億という皮膚常在菌が死滅し、鍋にお湯を沸かしても、火を燃やしても、お酒を零しても、天文学的な数の命が消えるわけです。かつて地球に巨大な隕石が衝突したとき、僕達の祖先が成す術も無く死んでしまったように、僕達のちょっとした行為が小さな生き物にとっては大きな惨事と成り得る。そう思うと、少し複雑な気分になって動くことを躊躇う。

 恐怖と書いたのは、果たしてこんなに沢山細菌の住んでいる物体を口にしても大丈夫なのだろうか、という疑いが微かに付きまとうからです。細菌は寿命が短く、かつどんどん増殖するので突然変異の起こる可能性が巨視的な生き物に比べて圧倒的に大きい。だから、毎日どれくらいの量の納豆が日本国内で消費されているのか知らないけれど、中には納豆菌が突然変異を起こして病原性納豆菌になってしまって、食べた人の健康を害するとか場合によっては死んでしまうとか、そういうことがあってもおかしくはないなと思うのです。
 同じことはたいていの発酵食品に当てはめることができて、ヨーグルトとか漬物とか、ときどき変な怖い菌になったりしないのでしょうか。

 と言いながら、僕の冷蔵庫には常に納豆とキムチとヨーグルトが入っています。発酵食品は腐らないと思い込んでいるので賞味期限も無視して。