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 遥か窓下ではじける花火を見て、その周囲に集まっている大勢の人々とにぎやかな喧騒を思う。僕はまもなく神戸空港に到着するところで、飛行機の窓から花火を見るのは初めてのことだった。飛行機が着陸すれば、今回の旅は終わる。旅とは行ってもなんてことない、ただ友人の結婚式に出席するため札幌を訪ねていただけのことだ。ある人にとっては単なる出張と同じ程度のことだろうし、世界中を広く飛び回っているような人々にとっては京都から札幌へ行って2泊して帰ってくるなんて本当になんでもないことに違いない。でも、単に物理的な意味や人々が旅の途上で得る感傷を超えて、僕にとってこの札幌行きは特別なものになった。残念ながら、それがどのように特別なのか、その半分はここに書くことができない。だから以下に書かれるのは半分だけの特別さでしかない。半分なのかどうかも分からない。分からないというか、きっと半分ではないのだろう。この世界には半分にできないものがたくさん存在している。僕は、それがいかに特別だったのか、ということをここで伝えることは諦めようと思う。ただ、それは本当に特別だった。帰ってきたとき京都という場所の意味は変わっていた。

 18日金曜日のお昼前に、僕は関西国際空港を飛び立った。そういえばこの日はアメリカで学会に出ていたOが帰国する日だったので、もしかするとOも同じ時間帯に空港にいたのかもしれない。札幌で友達の結婚式に出るというと、1年間札幌に住んでいた父親から長袖がいるだのなんだのとメールが来た(Tシャツ一枚で全く問題なかったけれど)。そこにはついでにナイフは飛行機に持って入れないと当たり前のことが書いてあった。どれだけ人を子ども扱いするのかとも思うけれど、小学生のときから僕が日常的にナイフを携行することを許してきた親としては心配になるのかもしれない。誤解のないように書いておくと、僕は別に誰かを傷つけようと思ってナイフを持ち歩いていたわけではなく、探偵団もやっていたし、急に山の中へ遊びに行くような子供だったので、ナイフ、マッチなど人間が野外で活動する際のもっとも基本的な道具を常に持っていたというだけのことです。銃刀法違反には違いないけれど、山の中ではときどきナイフをナタのようにも使うのでナイフはそこそこ大きなものを持っていました。親としてはそれはもう心配だったことと思う(ちなみに中学生のときに使っていたナイフは今台所で使っています。だから包丁がない)。今はポケットにレザーマンのツールセットがあるだけで、それを預ける方の荷物に入れれば何も問題はなかった。
 それにしてもセキュリティーというのは悩ましい問題だなと思う。あれ以上のチェックをするのは手間隙がかかって現実的ではないけれど、実際に今のチェック体制なら機内に武器を持ち込むことは簡単過ぎる。靴底にセラミックナイフとプラスチック爆弾を隠して雷管をベルトのバックル裏にでも貼り付けておけば見つかりはしないだろう。液体のチェックも甘いから酸だろうがガスだろうが持ち込みたい放題に見える。あと携帯電話の持ち込みをOKにしていて電源を切ってくださいとアナウンスしているだけなのも理解に苦しむ。電子機器の持ち込みは本来なら一切禁止にするべきだ。強力な電波の発信機を持ち込まれると航行に差しさわりが出るはず。セキュリティーエリアの中で、基本的に信頼の上で物事が進んでいるのだなと思った。別に批判のつもりではなくて、世の中は基本的に信頼関係で成立している。飛行機に完全なセキュリティを求めるのは不可能だ。武器なんて持たなくても高度な戦闘訓練を受けた人間が素手でハイジャックを狙うかもしれないし、そういうことを防止したいのなら乗客全員に筋弛緩剤でも投与するほかない。そもそもパイロットが裏切るかもしれない。そういったことをぎすぎす言わないで、今のように飛行機が飛ぶほうがずっといい。

 新千歳空港から札幌まで、なんだかんだ言って1時間近くかかるので、札幌に着いたのは3時を過ぎた頃だった。JRから地下鉄南北線に乗り換えてホテルを予約している北24条へ向かう。北24条駅からホテルは目と鼻の先だけれど、ものすごい雨が降っていて駅の出口で足止めをくう。ホテルに電話をして迎えに来てもらおうかと思っていると小降りになったので走ってホテルへ向かう。チェックインして、部屋で休憩をとれば、あまり遠くへ出ることのない僕はなんとなく寂しい気分になった。部屋の小さなテレビを点けてみると、チャンネルの並びも映る番組も京都とは違って、当然天気予報は北海道を中心にしたものだった。道内では、とアナウンサーが口にするたび違和感を覚える。机の引き出しを開けると、ホテル周辺の案内地図が入っていて、お腹も空いていたので何か食べに出ようと眺めてみた。そういえば地名も殺風景だ、北24条だとか18条だとか、数字そのままなところが、なんとなく戦争とそれから村上龍の「5分後の世界」を連想させた。京都だって三条だとか四条だといっているには違いないけれど、すくなくとも漢数字だしそんなに殺伐とは感じない。
 地図を眺めていても良く分からないし、それに部屋でセンチメンタルごっこをしている場合でもないので、ホテルを出て周囲を歩いてみる。本屋へ行きたいと思ったけれどまともな本屋が見つからないまま、それから特に入りたいお店も見つからないまま、僕はせっかく北海道に来たというのにモスバーガーへ入った(この頃他の友達はそれぞれ寿司だとかラーメンだとかを食べていたらしい)。でも、結果的にはモスバーガーに入ったことは大正解だった。モスバーガーからホテルへ帰る途中にものすごいことが起こったからだ。

 明けて19日土曜日。朝10時半から挙式なので円山公園まで地下鉄に乗り式場へ行く。受付を済ませて席次表なんかを眺めているとD君がやってきてちょっとほっとする。D君と会うのも久しぶりのことだ。まさか北海道で会うことになるとは思いもしなかった。ついで時間ぎりぎりでYも登場。Yに会うのはもっと久しぶりだったけれど相変わらず。
 すぐに挙式がはじまる。現れた新郎である友人Mを見て胸が一杯になる。嬉しくて仕方ないけれどどう表現していいのか分からない。キリスト式の厳かさと、解放された中庭からの明るい日差しが溶け合ってここにしか存在できないようなバランスを作り出し、式は厳粛に執り行われた。二人は結婚した。
 式のあと中庭へ出て花びらを投げ写真を撮る。Mとはこの日はじめて口をきく機会だったけれど、本当に胸が一杯で気の知れた友達なのに何を言っていいのか分からなくなる。

 披露宴は地下の大きな部屋で美しく開かれた。おいしくて美しいフレンチと人々だった。並んで座った二人は完璧な組み合わせだった。それこそ神が選んだというのはこういうことなのだろうな。新婦であるYさんに会ったのは初めてだったけれど、まったくそんな気分がしなかったし、かつてこのカップルとどこかで会ったことがあるような錯覚さえして、それくらいにパシッとはまる二人だった。
 型破りな父親であることは何度もMから聞かされていたが、それでも驚いたことに披露宴を括るスピーチで、牧師であるMのお父さんは2度目の結婚式をとり行い。それは感動的でかつ驚愕のものだった。変な言い方だけど、Mのお父さんが牧師なのはこの瞬間のためだったのではないかというくらいに完璧な出来事。感服するほかない。

 披露宴の最中、友達とテーブルを囲み、Mの家族に挨拶し、それからM夫妻と話したり遠くから二人の様子を眺めたりして、僕はいろいろなことを感じ、その場にいることを心から嬉しく思った。もう10年近く前、入学前日のオリエンテーションで隣に座ったとき、二人でギターを担いで歩いてたとき、将来こんな素敵なことが起こるなんて僕達は二人とも知らなかった。
 
 式場を出ると、外はまだ昼間だというのに暑くない。さすがは北海道だ。京都であれば外に出て一分で汗だくになる。僕やD君、E君はもう一日ホテルを取っていたけれど、Yはこの日の夕方に東京へ向かわなくてはならなかったので、とりあえず4人でお茶でもしようと大通りまで出て、ついでなので時計塔を見てテレビタワーに上り、下のビアガーデンでビールを飲む。

 一度ホテルに戻って着替えたり休んだりしたあと、8時前に札幌駅に集合してM夫妻、バンド仲間、僕らで飲みに行く。M夫妻の結婚式を僕はつい数時間前に見たところだけど、どうしてもこの二人が一緒にいるのを見るのが初めてだとは思えない。もうMとは1、2年に1度しか会わないのが数年続いているので、今Mが組んでいるバンドの人々と話ができてとても嬉しかった。とても仲が良くてこれも素晴らしいというしかない。そうか、近頃はこういう感じなんだなと生活の一部を垣間見て嬉しくなる。

 お開きのあと、僕は地下鉄を北18条で降りて、Sちゃんと広い北海道大学の中を散歩した。北海道のガイドブックにはどういうわけか必ず北海道大学が観光スポットとして載っているのだけど、それもまあ分からないわけではないなと思う。森林公園のようなキャンパスだった。

 20日日曜日、ホテルのチェックアウト時刻は朝10時なので、10時にチェックアウトをして、とりあえず札幌駅まで行く。本屋に入りガイドブックをいくつか眺め、以前から気にしていたイサムノグチモエレ沼公園へ行くことに決める。地下鉄とバスを乗り継いで行ってみると、予想はしていたけれど、まあなんてことない普通の広い公園だった。休日で子供達がはしゃぎまわる。近所にこんな公園があれば嬉しいだろうなと思う。ある家族連れの子供がブーメランを投げているのだけど一向にうまく行かなくて、お母さんが試しても駄目で、お父さんに到っては、それはその程度の安物なのだから、というような感じで見ているだけで、僕は正しい投げ方を教えてあげるべきかどうか迷いながらそっちへ向かって歩いていた。すると間の悪いことにお父さんの指示通り子供はブーメランをやめて、家族は今度はボールで楽しそうに遊び始めたので、僕は言うのをやめた。
 一通り公園の中を歩くと、いくら北海道の夏が涼しいとはいえ汗をかいた。あまり汗にまみれるのは嫌だなと思いながら公園を横切る道を歩いていると、今度は前方から3歳くらいの女の子が一人泣きそうになりながら歩いてきた。迷子でしきりに「おかあさん」と叫んでいる。よくあることだけど、誰も助けようとはしない。これだけたくさんの人がいて、全員彼女が「おかあさん」と叫ぶたびにちらっと見るだけだった。どうしてなのか本当に理解できない。ただ、僕もどうすれば彼女の母親を見つけることができるのか分からなかった。なぜならここは遊園地やデパートと違って誰でも無料で入れるただのだだっ広い公園だからだ。携帯でこの公園の管理事務所みたいなところを探して、そこに電話して場内放送のような施設があるのか尋ね、あるなら放送をしてもらえばいいなと番号を調べているうちに偶然母親がやってくる。

 バスで地下鉄南北線の北端である麻生駅まで行き。そこからまた札幌に戻る。途中で宿泊していた北24条や北18条を通過して、とても懐かしくなる。京都に戻りたくないとすら思う。地下鉄札幌駅の改札も、この3日間で何回通っただろう。すっかり馴染んで、3日前ここへ来たときの疎外感や寂しさが嘘のようだ。僕はすでに札幌に住みたいと感じていた。あんなに帰りたいなと思っていた京都が、今では遠くの土地にしか感じられないようだった。

 沖縄料理屋へ入ってソーキソバを食べる。結局北海道らしいものなんて何も食べなかったけれど、特に食べたくもならなかった。まだ飛行機には時間がたっぷりあったので、駅の近くにある旧庁舎を見に行く。レンガでできたその建物には星印がついているのだけど、星印を見るとどうしても村上春樹の「羊をめぐる冒険」を思い出す。一言でいうと北海道は羊をめぐる冒険のようだった。札幌という街はきれいに整備された都会だった。

 寂しさを引きずってJRに乗り札幌を離れる。新千歳空港ですこしだけ土産物店を覗き、ひとしきりぐるっと見たあと、本屋で本を買って飛行機に乗った。厚い曇り空の上へ出た飛行機の窓から、西に沈み行く太陽を僕はずっと眺めていた。雲の上には本当に別の世界があり、今は良く見えない何かが生活をしていても不思議ではないなと思う。太陽が雲の彼方へ沈んでしまうと、空は深い瑠璃色のグラデーションを見せた。