will.

 意志の力というものをあまり軽視しない方がいいのかもしれないなと、ときどき思う。それは別に、歴史を振り返ってかつてこういう強靭な意志がこれこれの偉業を成し遂げたとか、この世界に存在する人工物はすべて誰かの意志から生まれたからとか、そういう道徳や教訓めいた話ではなくて、単に意志というのがあまりにも不可解だからです。

 意志というものに、僕達は毎日ほとんどあらゆる瞬間接していて、たぶんそれを使っていると信じているけれど、実際のところ意志というのは永久に科学では解明できない、つまり僕達のもっている理屈の完全な外側にあるものです。どうして意志なんてものが存在できるのか、僕達は知ることが出来ないし何もわからない、それこそUFOや幽霊よりもずっと分からない。究極的に不思議なものを毎日使っていることを不思議だと、あまりにも身近すぎて誰も思わない。

 子供の頃、たぶん誰もが一度は念力で物を動かせるのではないかと試みたと思う。僕はそれはもう何度も試みた。頭の中で強くイメージして頑張ってみる。大人になるにつれ集中して頭の中で頑張っている感じがしても、それは単に感じでしかないから、実際に物理的な働きをするわけではないと気が付く。念力なんて馬鹿げたことだなと思う。
 でも、最近になってやっぱりそうではないなと思うのです。念力なんてものは多分ないだろうけれど、意志を集中したときの頑張った感じというのを単なる脳内での信号のやり取りに置き換えて、結局はニューロンの発火にすぎないから、と片付けることはできないし、実際には意志を働かせるというのはもっと深い次元での作用を持っているのではないかと思うからです。思うではなくて、明らかに何か僕達の知らない作用を持っているはずだ。僕達がけして解明できそうにもない次元のシステムなのだから、その作用もイメージすることはできない。でも何かとても不思議なことが絶対そこにはあるし、実はその作用は僕達が思うよりずっと強力なものかもしれない。