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 昨日大学から帰る途中、出町柳から下流の方に強い明かりが見えて、それはもう本当に強い光だったので、一体何が行われているのだろうと見に行くと、荒神橋のところで映画の撮影のようなことをしていました。橋のところにある喫茶店の中で撮影が行われていたのですが、物凄い数の機材が道に並べられていて、投光器が何台か河原に置かれ、それらがまばゆい光を放っていた。
 少し遠くて、ちらっと見ただけでは誰が演技をしているのか分からなかったけれど、あとでAに言ってみると「鴨川ホルモー」の撮影に違いない、ということだった。

 映画の撮影はさておき、最初に灯りを見たとき、もっと普通の人がレイブみたいなことをしているのかと思った。昔I君ととりあえず強い明かりを空に向けて放ちたいという話をしていて、そのときイメージしていたことに近いことが実際に行われていたので、どきどきしながら現場を見に行ったわけです。
 その灯りは映画の撮影の為の1道具に過ぎなかったわけだけど、あんなに強い明かりを僕は手に入れられないだろうし、映画をちゃんと撮るというのはすごいことなんだなと思う。いつでも、プロの持っている道具というのはすごいなと思う。工事現場に止まっているトラックの荷台を覗いたときとか、当たり前だけど、必要な道具が全部揃っていて、使い勝手がもちろん最優先で、見ていて心地いい。

 昔、イベントの為にたくさんの椅子と机を作らなくてはならなくて一夏費やしたことがある。そのとき、友達の知り合いの大工さんがときどき覗きに来て、最初僕はそれがなんとなく嫌だったんだけど、段々助けになるときは素直に従った方がいいなと思うようになった。一番助かったのは携帯式の作業台を貸してくれたことだ。大抵の大工さんが同じようなものを使っているので、知っている人も多いと思うけれど、2枚の板に切り込みを入れてXの形に嵌め合わせるやつです。意地を張って、要らないです、と言っていたけれど、使ってみたら非常に便利だった。半分消耗品のように扱えるので、丸ノコの歯が台に入っても全然問題ないし、作業のしやすい高さだし、畳むのも組むのも簡単だし、「これは知恵だ」とやたら感心したのを覚えている。

 今もまだその傾向が消えないけれど、子供の頃僕は教わるのがとてもきらいな子供だった。たとえば父親は昔サッカーをしていたので、僕がサッカーボールで遊んでいると、正しいボールの蹴り方はこうだ、みたいなことを教えてくるのだけど、僕はそれが嫌で嫌で泣いたり怒ったりしていた。今思えば愚かなことだと思う。こうすればいいということを人が親切に教えてくれると僕はそれをしないように勤めることが非常に多くて、そういうことはもうやめなきゃなと思う。