time at tone, twelve midnight.

 僕はつい2,3年前まで、色々なところを転々とするような人生がきっと楽しいのだろうと思っていました。極端に言えば、色々な国に1年ずつ住んでみたい、というようなことを平気で口にしていました。もう少し遡って、高校生の頃を省みれば、僕はアジアやヨーロッパを放浪するバックパッカーに憧れていて、その手の本ばかり読んでいました。

 だけど、その割りに僕は今まで28年に渡り海外に出たこともなければ、ここ10年間くらいは京都市内に住んでいて、日帰りであろうが泊まりであろうが、京都市内から出たことなんて本当に数えるほどではないかと思います。遠くに出掛けるとなんとなく寂しくなります。

 そして、先日引越しをしてかなり明確に分かったのですが、僕はどちらかというと変化を嫌う性格のようです。まるですっかり歳をとった人間のようなことを言うと、同じ人たちと、同じ場所で、同じような日々が死ぬまで繰り返されればいいと思います。特に進化も発展も望まない。

 この10年間の間に、ずっと京都市内にいると言っても、僕だって随分な数の変化を経験してきました。そのほとんどは自分で望んだものだった。だから、昔から変化が嫌いだったわけではなくて、こういうのはここ最近のことなのだとは思います。老人が大金を積まれても立ち退きをしないような状況を、昔は理解ができなかったけれど、今は心底理解することができると思う。40才で転職するなんてすごい、みたいな話も、僕はどこがすごいのか分からなかったけれど、今はそれが本当に大変なのだろうなということも分かります。僕はこの先、確実にもっともっと変化を嫌う人間になっていくだろう。こういう気持ちの変化が自分におこるなんて、全く予想しなかったことで、正直なところ戸惑いを隠しえない。僕は特に人生設計らしいものを持ちませんが、それでも、「ずっと自由自在に生活していく」という基本指針みたいなものは心の底にあって、だから人より長く学校に行こうが何をしようが、僕はこういう生き方なんだ、と思うことができた。だけど、今はもうそんなことを思いはしないわけです。今になって、祖父が昔言っていたことの意味が良く分かる。僕にとって一番大切なものというのは、その昔たぶん自由と欲望だった。でも、本当は一体何が大切なのか、今は全然違う答えを持っているし、そしてそれは100%正しいだろうという確信も持っています。
 きっと誰もが心の奥底で、時間よどうか止まれと願いながら日々を暮らしているのではないだろうか。