フラワーチルドレンと華麗な笛吹き。

 キャッチアンドリリースで、スポーツだと言って魚釣りをする人達がいます。僕にはあまり理解のできない世界だけど、でもまあキャッチアンドリリースということで、釣った魚をまた逃がす。
 魚を逃がすときに、小さな魚を、「まだ子供だから」と言って逃がし、大きな魚を、「もう大人だし、十分生きただろう」と言って逃がさない、そうして自然にダメージを与えないようにしているつもりの人がいて、そんな人達を見てムツゴロウさんが、「それは逆だ」というようなことを言っていた。

 魚というのは卵で沢山の数が生まれて、ほとんどが他の生き物に食べられる。大人になるのはほんの数パーセントだけだ。そして、その生き延びた数パーセントの大人が、また卵を産んで子孫を残す。
 だから、その厳しい生存競争を生き抜いた大人の魚のほうが自然にとっては子供の魚よりも遥かに重要なのだ。もしも、ある魚がいて、彼らが100個の卵を産み、その中で無事に大人になるのは一匹だけだとすれば、その生き延びた一匹の大人を獲るということは背後に隠れた卵99個分の命も一緒に消したことになる。

 大人というのはとても大事な存在なのだ。

 中学校で働くYちゃんとCちゃん、そして僕の3人で話をしていたとき、彼女たちが「教育者」というのはどうあるべきなのか、というようなことを真剣に話していて、僕は「そうか、先生というのはこういうことを考えていたのか」と今更に思った。

 僕は、大学の先生は別として、小学校、中学校、高校と自分の先生に何らかの感情を持ったことがほとんどない。なんらかの感情というのは、人としてコミュニケーションをとりたい、という欲求のことで、僕はなるべく彼らから距離をとって生活するように心がけていたし、先生というのは僕らにプリントを配ったり勉強を教えたりする「係り」みたいなもので、それ以上でもそれ以下でもない、という感じだった。
 僕は「冷めてるね」と親にも友達にもよく言われるような子供だったので、自分の先生に対してどれくらい無関心だったかは容易に想像できると思う。
 それに僕は人気のある先生が嫌いだった。なにか騙されているような気がして、面白いことをいう先生よりも面白くない人気のない先生の方がしっくりときた。

 僕は亀岡市という、京都市の隣にあって、まったく面白味のない町で小学校の大半と中学校時代を過ごしました。自分の育った町のことを悪くいうのもなんだけど、でも本当に何の魅力もないところでした。色に例えるなら灰色以外の色は思い浮かびません。

 恐ろしいことに、僕の通っていた小学校では「休み時間の遊びが決まっている」という異常事態が日常になっていて、遊び係という役職を担った班が中間休みや昼休みの「遊び」を管理していた。
 教室の壁には普通の時間割と「遊び」の時間割が貼ってあって、その「遊び」の時間割には月曜日から土曜日までの中間休み、昼休みに一体何をして遊ばなくてはならないのか、ということが書かれていました。たとえば、『水曜日、昼休み→ドッヂボール』というようにです。そして水曜日の昼休みには遊び係の指揮下、クラス全員でドッヂボールをしなくてはならないわけです。もしも僕がそれをサボって図書室へ行って本でも読んでいようものなら、終わりの会という一日の終わりに設けられた会で、「今日、横岩くんは昼休みの遊びに来ていませんでした。反省してほしいです」みたいなことを言われて、僕は、反省しています、今度からちゃんと行きます、みたいなことを立ち上がって言わなくてはならなかった。
 異常ですね。
 週に2、3回だけ「自由」の休み時間があったのですが、普通は休み時間は自由なものだし、強制的にドッヂボールや縄跳びをさせるなら、それは休み時間ではなくて体育だ。

 それから中学校ではクラブ活動が強制だった。どうやら強制ではないのが普通みたいなので、僕は勘違いなのかと旧友にも尋ねたのですが、やっぱり強制でした。
 僕は仕方なしにサッカー部に入っていたのですが、そうするとせっかく6時間目が終わって学校から開放されるはずなのに、放課後になぜかまたサッカーという体育の時間があるわけです。しかも異常に長い。
 どうして放課後なのに学校にいなくてはならないのか、全く理解ができなかったし、楽しいとも思えなかったので、僕はクラブ活動をほとんど毎日サボり倒して、家へ帰ってどこかへ遊びに行っていた。でも、そうするときちんとクラブ活動に出ている人達から、それに先生からもやいやいと非難されるわけです。当時はなるべく平気な顔ですごしていたけれど、実際のところはものすごいストレスだった。

 今でこそ、僕は自分の通っていた学校が異常だったと分かるけれど、でも当時はそれが異常なことだとははっきり分からなかった。恐ろしいことに。
 まったくひどい教育を受けたものだと思う。

 僕が大学生になってから、この中学校では生徒が自殺する、という事態が起きて、原因は明らかにいじめなのに、学校は「いじめはなかった」と職員会議で全会一致の採択をしてそれをマスコミに発表した。
 やっぱりひどい学校に通っていたんだな、とそのときに改めて思った。