スペインで煙の輪っかを作る。

 月曜日の夜にみなみ会館で「800発の銃弾」という映画を見て、そして僕は頭がくらくらとしました。

 この映画はマカロニウエスタンに関するものなのですが、僕は今回マカロニウエスタンという言葉の意味をはじめて知りました。
 今まで、「マカロニウエスタンというのは偽西部劇のことだろう」とぼんやり思っていて、マカロニは中が空洞だから、その空虚な感じがインチキっぽくて偽西部劇のことをそう呼んでいるのだろう、と勝手に推測をしていたのですが、そうではありませんでした。

 ウィキペディアによれば、

マカロニ・ウェスタンとは、1960年代〜1970年代前半に作られたイタリア製西部劇のことである。大半のものはユーゴスラビア(当時)やスペインで撮影された。英米伊などでは、これをスパゲッティ・ウェスタンと呼んでいるが、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が日本に輸入された際、「スパゲッティでは細くて貧弱そうだ」ということで、映画評論家の淀川長治が「マカロニ」と変名した。日本人による造語であるため、マカロニ・ウェスタンという言葉は他国では通用しない。ドイツでは、イタロ・ウェスタンという呼称もある。』

 イタリアだからスパゲッティということだったんですね。それを淀川さんが改名したなんて。

 僕がこの映画の何に対してくらくらしたのかというと、それは虚構と現実の混在に関してです。
 主な舞台は『ウエスタン村』で、この『ウエスタン村』というのは、昔はマカロニウエスタンを撮影していたけれど、今は寂れてしまってテーマパークと化していて、しかもお客もあまり来ない、いわばひどくうらぶれた場所です。ちょうど人気の全くなくなった東映太秦映画村みたいなものを想像すると分かりやすいと思います。そこで、『ウエスタン』を捨てられない人達が細々とショーをやっているわけです。

 そのショーというのがまた奇妙で、彼らは西部劇のショーをスペイン語で行うので、僕たちは異常な違和感を感じざるを得ない。中国に太秦映画村を持っていって、中国語で中国人が「遠山の金さん」を演じているようなものです。

 外の世界は現代のスペインで、『ウエスタン村』の中でも携帯電話は使える。ここはテーマパークで観光客も少しはやってくる。規模は違えど、ディズニーランドやユニバーサルスタジオと一緒で、ここはウエスタンを仮想した遊園地なのだ。

 最初はそれ以外に『ウエスタン村』のポジションは見えない。だけど、映画が進行するにつれて『ウエスタン村』は単なる「虚構」ではなくなっていく。
 なにせ『ウエスタン村』には歴史があるのだ。一連のマカロニウエスタンが1960から1970年に撮影されたのなら、この『ウエスタン村』にはざっと30年の歴史があることになる。『ウエスタン村』の年をとって半ばくたびれ果てたスタッフたちは、そこで長年働き、西部劇風のバーで酒を飲み、その西部劇のセットをまるで本物の村のように使用している。それはかつて映画撮影のために組まれたセットでしかなかったかもしれないが、30年も誰かが使っていれば、もう只のセットではなくなって村になる。すくなくともスタッフにとってはもうセットなんかじゃない。村だ。

 彼らは西部劇の格好のまま、時には馬を駆って街に出る。このとき彼らがリアルな街に現れた虚構なのか、それとも彼らがリアルで街が虚構なのか良く分からなくなる。もちろん、大体のところは彼らが虚構で街がリアルなんだろうけれど。

 逆に、街の人々も『ウエスタン村』へ入ってくる。象徴的なシーンは『ウエスタン村』に隠してあるマリファナを街の警察が押収しに来るところだ。

 (金庫の前で)

 警察官     :「金庫の暗証番号は?」

 インディアン男 :「何いってんだ。只の木の扉だぜ」

 金庫は(金庫といっても銀行の金庫みたいに中に入れるやつですが)、セットで作り物でしかないのに、街からやって来たリアルな世界の人間である警官が、その金庫を「リアルな機能を有する金庫」だと誤認してしまいます。つまりこのとき『ウエスタン村』という虚構はリアルだと誤認されているわけです。

 『ウエスタン村』と、そこに属する人々というのは、リアルと虚構の境目にいる存在で、僕は思考が追いつかなくてくらくらしたわけです。

 劇中ではショーに使う「空砲」をリボルバーでしょっちゅう打ち鳴らすのですが、終盤では彼らは村を守るために「実弾」を銃に込めて警官隊と戦います。虚構から現実へ。

 さっき僕は思考が追いつかなくて、と書きました。
 実際にまだ何がくらくらするのか本当は良く分かりません。
 セルバンテスの国で作られた、いかにもドンキホーテじみた人々の登場するこの映画の構造が、未だに良く分からない。西部劇ごっこをしていたら本当のガンマンになってしまった、というような話。

 徒然草に「狂人の真似だといって都大路を叫びながら走るのは、それはもう狂人の真似ではなくて狂人だ」という段があったと思う。
 これにとても似た映画。