グラデーションと川辺を走る犬。

 オレンジジュースを飲みすぎました。
 とても昔にもどこかに書きましたが、人体の密閉度ってすごいですよね。たとえばヨガなんて流行っていますけれど、あんなにへんてこなポーズをとったり、あるいは走ったりすれば、僕たちは膀胱の中に保持している液体をいくらか外に漏らしてしまっても仕方ないのではないかと思うのですが、でもそんなことはほとんど起こらない。別にきちんとした栓があるわけでもなくて、単に括約筋でぎゅっとやっているだけなのに、驚異的だ。

 また少し空いてしまいました。
 引越しパーティーや、ライブや、普通のパーティーや、その他の大事なことや日常的なことがあって、なかなか日記を書く気分ではなかったのです。

「これは僕の偏見かもしれませんが、京都では演奏を聞きに来る人が、上手か下手かを重視するような気がしてやりにくいです。上手だとか下手だとか、そんなのよりももっと音楽を楽しんで欲しいです」

 というようなことをある演奏家に言われて僕はびっくりした。

 音楽を演奏するにあたって、その演奏が上手か下手か、というのは重要なことだ。確かに、音楽には「何か」があって、その「何か」が聞く人に伝わることはとても大切で、それは演奏のレベルがどうこうといったことよりも重要なことに違いありません。でも、演奏のレベルがその「何か」を伝える上で大きな要素になっていることも事実です。
 別に人々は「上手だね」と言われたいために一生懸命な練習をするのではない。その「何か」を伝えるために練習をする。上手な演奏でなければけっして表現できないことや伝えることができないことがある。だから音楽を人に聞いてもらおうとする立場の人が「上手か下手かなんて」というのは、なんとなくへんてこな気がするのです。